起業家

発刊
2013年4月12日
ページ数
295ページ
読了目安
339分
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新しいことを生み出すのは、一人の孤独な「熱狂」である
サイバーエージェント藤田社長が、ネットバブル崩壊による危機、ライブドア事件、アメーバ事業の立ち上げを語る。

新しい収益の柱として、ついにアメーバ事業に可能性を見出す。しかし、当時は、投資家からも社員からも、誰からも期待されていなかった。逆風の中でゼロから事業を立ち上げる苦労と熱い想いが綴られています。


■メディア企業を目指して
ネットバブルが崩壊して株価低迷に喘ぐサイバーエージェントは、2001年「村上ファンド」による買収交渉により、存亡の危機を迎えていた。会社を手放す覚悟を決めた時、楽天の三木谷社長に助けてもらう形で危機を乗り越えた。

買収を免れてしばらく経った頃、投資家の前で「我が社はメディア企業を目指しています。現在は将来への先行投資をしているため赤字なのです」という説明をしていた。そんな説明に対し「いつまで投資期間なのですか?」といった言葉を投げつけられていた。

当時売上を構成していた広告代理事業だけでは、どう頑張っても営業利益率5%までしか見込めなかった。代理店手数料では、ネット企業の最大の特長である収穫逓増型にならない。当時、収穫逓増型モデルを実現していたのは、ヤフーやGoogle、楽天など、インターネットの「メディア事業」だった。ネット業界で大きくなっていくためには、何より強いメディアを持つ事が必要不可欠な条件だった。

アメーバの誕生

サイバーエージェントもメディア事業に参入はしていた。思いつく限り、メールマガジン、懸賞サービス、ポイント事業などを立ち上げた。しかし、資金力があったところで、メディア事業は簡単に立ち上がるほど甘くないと学んだ。

2004年5月、ふとしたきっかけで競合のライブドアでブログを始めた。当初、ブログサービスはただのフリーホームページや日記サイトの焼き直しのように考えていた。それらのサービスは流行ったものの、収益も生み出さず、中途半端な形で伸び悩んでいた。しかし、ブログを自分で使ってみて初めて、そのアクセスの拡散と回遊の構造が今までとまるで違っている事に気づいた。ブログはずっとネット上を回遊できる仕組みができていた。これはページビューを飛躍的に増やす事ができる構造だった。探し求め続けた念願だったメディア事業の種、それがブログだった。事業名にはアメーバと名付けた。

進退をかけて

2006年、ライブドア事件によりベンチャー冬の時代に突入した。サイバーエージェントの経営も、難しい舵取りを迫られた。貸金業法の改正により、主要広告主であった消費者金融の広告出稿が激減し、ネット広告関連売上が大きく落ち込んだ。ミクシィへの投資の売却益、立ち上がったFX事業で稼いだ利益は、収穫逓増型モデルでもなければ、継続性すら怪しいものだった。次に当てにできる主力事業がない、という状況だった。

上場している会社がゼロから大型の新規事業を立ち上げるのは困難を極める。赤字で実績がないところから、情報を開示しなければならない。気長に新規事業が育つのを待ってくれるような株主はほとんどいない。主力事業に育てようと目論んでいたアメーバは赤字の上、参入は最後発だった。

アメーバはいつまで経ってもアクセス数が増えていなかった。世間的にもブログサービスは伸び悩み始めていた。「アメーバの事業本部長はおれに代わる。あと2年でダメだったらおれは責任とって会社を辞める」アイデアは人に人任せにせず、最後まで全部責任を持って考える姿勢で臨んだ。

ふと周りを見渡してみれば、ムキになってブログサービスの機能を拡充したり改善を加えたりして進化を試みているのはもはや私だけしかいない状況だった。「それで仮にページビュー数が伸びたとして、それ儲かるんですか?」投資家からも、冷ややかな声をかけられた。

2009年9月、アメーバはついに黒字化した。その後、売上は倍々ゲームで伸びていった。アメーバが今日のような姿になる事を信じていたのは世界で私ただ一人だった。誰も相手にしない、たった一人の孤独な熱狂だった。不可能を可能にするのが起業家である。皆の反対を押し切っても、逆風に晒されても、それでも自分が本気で熱狂しているものなら不屈の精神で乗り越えなければならないのだ。

 

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