昔に人類が獲得した本能によってコントロールされている
人間は、脳の報酬系に強く引っ張られ、環境に大きく依存する生き物である。この前提が抜け落ちると、うまくいかない原因を「意志の弱さ」に求め、根性論の努力と自己否定のループに陥ってしまう。そもそも、生命科学的に見れば「意志が弱い/強い」という考え方自体が幻想に近い。
意志という生き延びるための仕組みが、その時々の環境の中で、たまたまうまく働いたか、どうでなかったかという違いだけである。本当に問題なのは本能的な仕組みそのものではなく、その仕組みと、私たちが置かれている現代環境とのミスマッチである。
目の前を何よりも優先してしまう、つい楽な選択肢に流されてしまう、周囲の人と同じ行動をとってしまうといった日常の判断や行動は、どれも自分が意識的に選んだ結果であり、自分の意志や性格が反映されたものだと考えがちである。しかし、こうした判断や行動の多くは、はるか昔に人類が獲得した「命を落とさないための仕組み」によってコントロールされている。問題なのは、その仕組みが役立っていた環境や状況が、今の社会においてあまり存在しないということである。
食料が不足し、猛獣などの天敵に囲まれていた過酷な環境では、高カロリーな食べ物を好むことも、脅威に敏感に反応することも、生き残るために大切なことだった。ところが、現在では食料は大量かつ簡単に手に入れられるようになり、私たちが日常的に直面する危険の種類は大きく変化した。さらに、私たちは大量の情報や刺激にさらされている。
この劇的な環境の変化によって、かつては合理的だった反応が、行き過ぎた形で表れるようになっている。
・すぐ手に入る報酬を優先する
狩猟や採集で食料を調達していた環境では、将来の不確実性が極めて高く、目の前の食料や機会を逃さないことが生存に直結していた。ところが現代において、この仕組みはしばしば過剰に働き、長期的に不利な結果を招いている。その最大の理由は、スマホやSNS、ゲームなどで、「すぐ手に入る報酬」の供給量と強さが飛躍的に増加していることにある。
・ネガティブな情報に強く注目し、記憶に残る
脳には、危険を素早く察知し、回避するための回路が備わっている。かつては、危険を過敏に察知する個体の方が、生き残る確率を高めることができた。しかし、現代では危険に過敏に反応する仕組みは、過剰な形で働く。例えば、SNSでの批判やニュースの見出しは、恐怖や怒りといった強い感情を引き起こす。
・目立つ刺激を優先する
草むらの中でわずかに動く影や、不自然な音、血の匂いといった「目立つ変化」は、天敵の接近や危険の存在を知らせている可能性が高く、それに迅速に注意を向けられるかは生き残ることに直結していた。しかし、現在ではスマホの通知音やバナー、ショート動画の鮮やかな色彩や短時間で感情を揺さぶる映像と言葉など、人工的につくられた強い刺激に24時間いつでもさらされることになった。
大切なのは、自分の意志を強くすることではない。自分がどのように反応してしまうかを理解した上で、その反応が行き過ぎないよう仕組みや環境を整えることにある。
生物的反応から自由になる
ある時代には「生き残ること」に有利だった性質が、別の時代にはむしろ自分を縛る足枷になってしまう現象は「進化の罠」という考え方で解き明かせる。進化は常に過去の環境に適応する形で進む。しかし環境の変化は突然起こることもあり、変化のスピードは進化の更新速度をはるかに上回る。その結果、かつては正しかった振る舞いが、新しい環境の中では「間違い」になってしまう。
私たちの「遺伝子」は、ほんの数百年の短期間ではほとんど変わらない。人類の脳や身体の進化は、何万年、何十万年という時間をかけて進んできた。その一方で、現代社会のテクノロジーや環境の変化は、わずか数十年、あるいはそれよりも速いスピードで進んでいる。
人間は高い知性を持ち、自分たちで世界を劇的に変えられるからこそ、他の生き物よりもはるかに複雑で、規模の大きな進化の罠を自らの手でつくり出してしまっている。
私たち人類が、この致命的とも言えるズレを、乗り越えるためには「学ぶ」能力が鍵となる。人間は「自分にはそういう癖があるのだ」という事実を客観的に理解し、言語化し、これからの行動を新しく学び直すことができる存在でもある。だからこそ、日々の個人レベルの対策としては、人間が持つ生物としての特性を前提に受け入れた上で、生活の仕組みをつくるという発想が有効である。
思考や感情を一歩引いて観察できる状態をつくる。この距離を生み出すことが、行動や感情の柔軟性を高める上で重要になる。反応と行動の余白は、私たちが自分の意思で次の行動を決めるための、大切な選択の余地になる。