鈴木敏文のセブン‐イレブン・ウェイ 日本から世界に広がる「お客様流」経営

発刊
2013年1月22日
ページ数
229ページ
読了目安
307分
推薦ポイント 4P
Amazonで購入する

Amazonで購入する

セブンイレブンの経営がわかる
かつてアメリカで開発されたコンビニ業態は、日本で大きく深化を遂げる。日本のセブンイレブンは、経営に行き詰まったアメリカのセブンイレブンを経営再建する。どのようにアメリカのセブンイレブンの再建はなされたのか?


■米国セブンイレブンの経営破綻
元々、日本を含めて世界のセブンイレブンの営業ライセンスは、アメリカのセブンイレブンの本部企業「サウスランド社」によって与えられたものである。サウスランド社は、ピーク時には8200店舗を超える店舗を持ち、1982年には売上で全米小売業ランキング10位以内に入る巨大流通企業であった。しかし、同社は以下の要因で経営破綻する。

①スーパーとの価格競争に巻き込まれ、コンビニ事業が不振に陥った
②政府による宇宙開発予算の時限凍結により、地元テキサス州の巨大な地域開発プロジェクトが打撃を受けた
③ガソリンスタンドにコンビニを併設する形で事業展開し、自ら石油卸事業に進出したが、石油価格の大暴落で巨額の負債を抱える事になった

当時、アメリカではサウスランド社の再建は困難であると思われていた。その理由の一つは、時代の変化のもとで、コンビニが社会的な存在価値を喪失しつつあった事が挙げられる。石油販売業界からの参入なども増えて競争が過熱状況にあっただけでなく、スーパーマーケットなどが積極的に長時間営業に乗り出していたからである。

米国セブンイレブン再建へ

1991年、経営的に行き詰まったサウスランド社にイトーヨーカドーグループが資本を入れ、この企業再建に乗り出した。

サウスランド社の買収交渉に入る一年前、ハワイにおけるセブンイレブンがイトーヨーカドーグループ側に売却されているが、この時点で鈴木敏文は、サウスランド社再建の目鼻をつけていたようである。彼は、ハワイの店を見て歩きながら「これはコンビニエンスストアとしての体をなしていない」と断じた。コンビニとして本来あるべき姿に変えていく事ができれば、事業として立ち直らせていけるという見方が、そこに働いていた訳である。

まず鈴木が取り組んだのは、意識改革だ。サウスランド社の人達が持っていた「アメリカにおいては、もはやコンビニの時代は終わった」とする固定観念である。隆盛を誇ったアメリカのコンビニ事業は1位のサウスランド社、2位のサークルK、3位の企業が経営に行き詰まっていた。

安売りをやめろ

1960年代、アメリカのスーパーマーケット業界において24時間営業の店は、わずか1〜2%に過ぎない状況であった。しかし、1970〜1980年代と時代が進むにつれて、長時間営業の店が急激に増加してくる。コンビニは差別性を失い、価格競争に陥った。

鈴木が最初にやった事は、常態化していた「安売り」をやめさせる事であった。当時のセブンイレブンは、スーパーに対抗するためにディスカウントに走り、ブルーカラーの男たちが利用する店になり、女性や子供の行くところではなかった。

「ディスカウントをすると、ディスカウントを求めるお客しか来なくなる。すると、ディスカウントを求めてくるお客が喜ぶものしか売れなくなる。また、安く仕入れられるものしか、品揃えしなくなる。それは本来のコンビニエンスを求めてくるお客のニーズとは離れていってしまう」、鈴木の大号令でディスカウントをやめたのと並行して、品揃えの見直しが徹底的に図られた。

お客様流への意識改革

鈴木が取った施策のもう一つは、自前の物流センター売却した事である。売却先は、ウォルマートの子会社で当時全米最大の卸業「マクレーン」。商品の各店へのデリバリーをマクレーンに委託する事で、商品デリバリーのレベルは飛躍的に向上する事となった。

各店が限られた店舗スペースでお客にとって魅力ある品揃えを展開し、商品の鮮度を常にフレッシュに保つには、納品頻度を高める必要がある。これをマクレーンは低いコストで可能にしてくれた。

アメリカのセブンイレブンの再建で鈴木が力を入れた事は、アメリカ側の経営陣の意識改革であった。中には鈴木の考え方は、日本流の押しつけで、アメリカの実情に合わないという反発もあったが、彼は「日本流も、アメリカ流もない。あるのはお客さま流だけだ!」と言ってのけた。

 

あわせて読みたい