商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道

発刊
2012年5月17日
ページ数
221ページ
読了目安
271分
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商店街の崩壊の歴史を学び、その再生を考える
商店街は、どのように発展し衰退したのか?
商店街の歴史をひも解きながら、商店街の再生について論考する。


■商店街のはじまり
商店街は決して伝統的なものではない。現代の商店街は、第一次世界大戦後、農村部から都市部へと流れ出る人々を、中間層化して社会秩序に統合するという目的のために形成された。

第一次世界大戦後、農村は長引く不況に苦しんだ。そのため、多くの人々が農業をやめて都市に出てきた。しかし、彼らを吸収するほど都市には雇用がなかった。多くの離農者は商売を営むことになり、零細小売商が大きく増えた。

一方、これは都市住民にとって歓迎すべきことではなかった。当時、物価の乱高下や粗悪品の流通が起きていたが、小売業者の秩序なき増加がその原因と考えられた。都市の消費者は、自己防衛のために協同組合を設立しようとし、零細小売商との対立を生んだ。また当時、圧倒的な資本力によって販売戦略を展開した百貨店も、零細小売商と激しく対立した。

専門性もなく質の高くない、多くの零細小売商は、簡単に事業に行き詰まった。この問題を解決する方法が、商店街だった。小売店を組織化して規模を拡大し、専門性を高める。
1940年代は、小売業の転廃業と免許制・距離制限が実施され「地元商店街」が制度化されていった。

既得権を強める商店街

第二次世界大戦後、物価の高騰や闇物資の流通で、再び零細小売商が溢れかえった。これは消費者運動を引き起こしたが、政府は小売商を保護した。政府には、小売業を保護することで、安価な労働力を製造業に回すという政策意図があった。以降、商店街は、急速に整備されていくことになる。

戦後まもなくから、零細小売商は行政に対して規制・保護を求めていた。百貨店法、中小企業団体法など矢継ぎ早に実現し、商店街は既得権を強めていった。

スーパーとの対立

こうした零細小売商に対する保護政策に対し、国民生活の観点から、その非合理性を批判したのがスーパーマーケットであった。1960〜1970年代にかけてのスーパーの大量出店は、商店街との対立を深めた。

流通機構の近代化が物価対策の一面として重視されねばならない。しかし、結局、高度経済成長期は、零細小売商の権益を奪う政策は行われなかった。この背景には、零細小売商が、雇用を吸収していたという論理があった。

商店街の崩壊

1980年代、政府はアメリカの圧力の中、小売規制を緩和することで、消費者の利益となるような消費空間を実現しようとした。零細小売商は、規制緩和に抵抗できず、その代替措置として公的資金に頼ってしまった。零細小売商の生き残り戦略は完全に裏目に出てしまい、彼らの存在の正当性も同時に失われてしまった。

彼らは公的資金の要求に加えて、コンビニ化という生き残りを模索し始める。しかし、この戦略が商店街を内側から崩壊させた。

商店街が崩壊した理由

①商店街が、恥知らずの圧力団体になったこと
「商店街」という理念は、小売商の中間層化という大きな目的があった。しかし、中間層化のためにあった規制は、次第に消費者運動と政治的な対立を繰り返すことで、イデオロギー的に解釈されるようになった。また、その権益を維持するために、保守政党と政治的な結託を見せ、その存在意義を見失わせた。

②閉ざされた権益が、商店街と規制の関係を見失わせた
小売店は家族経営が前提であったため、免許などの権益は親族間で移譲された。外部から規制産業に入る事ができず、小売店のイノベーションを妨げた。権益の掘り起こしが進む中、商店街関係者は、国から資金的援助をいかに引き出すかに関心を持つようになり、一部の小売商はじり貧状況から抜け出すため、コンビニ経営に乗り出した。このコンビニという業態こそ、専門店を一つひとつの地域につくるという「商店街」の理念を内部から浸食した。

 

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