父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

発刊
2019年3月7日
ページ数
248ページ
読了目安
285分
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経済を簡単に理解するための本
経済の成り立ちから、金融の仕組みまでを、わかりやすく紹介している一冊。

経済の基本は「余剰」から始まった

経済がこの世に存在するには、畑を耕して作物を育てたり、自分たちの手でこれまでにない道具を作ったりする技術が必要だった。技術革命のきっかけはいつもそうだが、農耕も人類が始めようと思って始めたことではなかった。土地を耕す必要のない場所では、誰も農耕なんて考えなかった。例えば、自然の恵が豊かなオーストラリアでは、畑を耕したりしなかった。

土地を耕さなければ生きていけない場所でだけ、農耕が発達した。その内に試行錯誤を経て、より効率のいい農耕の技術が生まれてきた。人間が農耕の手段を開発していく過程で、社会は劇的に変わっていった。農作物の生産によって、はじめて本物の経済の基本になる要素「余剰」が生まれた。

余剰は将来への備えになるものだ。そして、農作物の余剰が人類を永遠に変えるような、文字、債務、通貨、国家、官僚制、軍隊、宗教といった偉大な制度を生み出した。

余剰は様々なものを生み出した

・文字:余剰を記録するために生まれた
・債務、通貨:余剰の債務、交換手段として生まれた
・国家:余剰を交換するための通貨を保証するために生まれた
・軍隊・官僚:余剰によって生まれた支配者が支配し続けるために生まれた
・宗教:余剰によって生まれた支配者を正当化する思想のために生まれた
・テクノロジー:余剰を効率的に増やすために生まれた

なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか

農作物の余剰によって、文字が生まれ、債務と通貨と国家が生まれた。それらによる経済からテクノロジーと軍隊が生まれた。つまり、ユーラシア大陸の土地と気候が農耕と余剰を生み出し、余剰がその他の様々なものを生み出し、国家の支配者が軍隊を持ち、武器を装備できるようになった。

だが、オーストラリアのような場所では余剰は生まれなかった。オーストラリアでは自然の食べ物に事欠くことがなかったからだ。余剰を貯め込む必要がなかった。逆に、気候に恵まれないイギリスでは、大量に作物の余剰を貯めないと、生きていけなかった。航海技術や生物兵器も、余剰から生み出された。

アフリカでは、一部で農耕経済を発展させた社会があっても、その仕組みは広がらなかった。赤道を隔てて南北に長いアフリカ大陸では、北部で栽培できる作物も南部では育たない。一方、ユーラシア大陸では誰かが農耕技術を発明した途端、それが西と東にあっという間に広がった。だから、アフリカとオーストラリアと南北アメリカがヨーロッパの植民地になったのは、もとを辿ると地理的な環境が理由だった。

余剰によって格差は生み出された

しかし、地理では説明できない格差もある。地域内や国内の格差だ。余剰を蓄積するには、権力の集中が必要で、権力が集中するとさらに余剰が蓄積され、富が支配者に偏っていった。蓄積した余剰を独り占めできる支配階級が、さらに経済や政治の権力を持ち、文化的にも力を持つようになる。その力を使って、さらに大きな余剰を独り占めするようになる。

こうして、グローバルな格差と社会の中での格差が拡大していった。どちらの格差も、元々は経済的な余剰に行き着く。その余剰は、農耕という人類最初のテクノロジー革命から生まれたものだった。