覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰

発刊
2013年5月25日
ページ数
245ページ
読了目安
68分
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身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
多くの維新志士を育てた幕末の思想家、吉田松陰の言葉を超訳した1冊。30歳の若さで亡くなりながら、明治維新の原動力となった吉田松陰の生き様から何を学ぶことができるかを解説しています。より良い人生を送るヒントが見つかるかもしれません。


■行動をもって信念を貫く
ペリーが黒船を連れてやってきた時、兵法の専門家であった25歳の吉田松陰は、しばらく「どうやって西洋を倒そうか」虎視眈々と作戦を立てていた。だが実際に黒船の大砲を目にすると、むしろ外国のやり方を学んだ方がいいと発想を逆にしてしまった。鎖国である。海外渡航などすれば死刑である。だが、松陰は気にしない。

「今ここで海を渡ることが禁じられているのは、たかだか江戸の250年の常識に過ぎない。今回の事件は、日本の今後3000年の歴史にかかわることだ。くだらない常識に縛られ、日本が沈むのを傍観することは我慢ならなかった」

彼は「動けば道は開ける!」とばかりに、小舟を盗むと、荒波の中を漕ぎ出していって、そのまま黒船の甲板に乗り込んだ。この一歩が、後の明治維新という大きな波を生む事になる。

松陰は生まれた時から空気のように存在していた「しきたり」を破り、行動をもって自分の信念を貫くのをよしとした。

松陰の教育

密航で捕まった後の松陰は、長州藩へと送られ、牢獄の中で囚人たちを弟子にする。仮釈放されると、松下村塾と呼ばれる小さな塾を始める。ここで松陰が教えた期間はわずか2年半だったが、松下村塾は、高杉晋作や伊藤博文、山縣有朋などを送り出した。

松陰は「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」と信じていた。だから一人ひとりを弟子ではなく友人として扱い、「教える、ということはできませんが、ともに勉強しましょう」と話した。教育は、知識だけを伝えても意味はない。教える者の生き方が、学ぶ者を感化して、はじめてその成果が得られる。

動きながら準備する

やろう、とひらめく。その時「今やろう」と腰を上げるか「そのうちに」と一旦忘れるか。やろうと思った時に、何かきっかけとなる行動を起こす事ができない人は、いつになっても始めることはできない。次第に「まだ準備ができていない」という思い込みの方が強くなっていく。だがいくら準備をしても、それらが事の成否を決める事はない。

いかに素早く一歩目を踏み出せるか。いかに多くの問題点に気付けるか。いかに丁寧に改善できるか。少しでも成功に近づけるために、できる事はその工夫しかない。よく行動する人は、よく失敗する。だがそれで「順調」だと思っている。

吉田松陰は、行動につながらない学問は無意味だと考えた。大切なのは、不安をなくす事ではない。いかに早く、多くの失敗を重ねる事ができるか。そして「未来はいくらでも自分の手で生み出す事ができる」という自信を、休む事なく生み続ける事なのである。

無駄を削ぎ落とす

いつしか人は「居場所を守るため」に生きるようになる。安心感を求めるのは生存本能だ。だが、松陰はそういう生き方を嫌った。「安定した生活」の先には、目に見えぬものに怯える、つまらない日々しか待っていないと知っていたからだ。

松陰が理想としたのは武士の生き方だった。武士は日常から無駄なものを削り、精神を研ぎ澄ました。俗に通じる欲を捨て、生活は規則正しく、できるだけ簡素にした。逆境や不安に動じる事なく、自分が信じている生き方を通す事こそが、心からの満足を得られる生き方だと、松陰は固く信じていた。

慣れ親しんだ場所から出る

居心地の良い場所にい続ける限り、「本当にやりたいこと」はできない。むしろ新しい刺激に弱くなり、だんだん感性が鈍ってくるだけだ。松陰の感覚は「うまくいくか知らないが、これをやらなければ何も始まらない」だった。それは良い結果を出すためでも、周囲から称賛されるためでもなく、心からの充実感を手に入れたいと思ったがためだった。

評判は傷ついても、生き方は傷つかない。生き方を傷つけるのは、自分だけである。

 

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