情熱商人 ドン・キホーテ創業者の革命的小売経営論

発刊
2013年4月8日
ページ数
247ページ
読了目安
273分
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ドン・キホーテの驚くべき経営の裏側
ドン・キホーテ創業者が語る小売経営論。起業から現在に至るまでの物語、消費者の心理をつかむマーケティングや独自の手法で編み出された戦略が紹介されています。23年連続で増収増益を達成しているその経営の裏側が明かされます。


■ドン・キホーテの原点
ドン・キホーテにはその源流となる店がある。ドン・キホーテ1号店の開業10年ほど先立つ1978年、創業者の安田隆夫が29歳の時、手持ちの全財産800万円をつぎ込んで東京・杉並区西荻窪に開いた店「泥棒市場」である。

ドン・キホーテは「泥棒市場」の成功と失敗の上に立脚している。たった18坪の零細店には、店名が面白がられた事もあり、オープン直後はたくさんのお客が詰めかけた。しかし、その後はぱたっと客足が止まり、店内には閑古鳥が鳴いた。「問屋から仕入れて売れば何とかなるだろう」との甘い考えが通用するほど甘くない。1日の売上が4〜5千円の日もあった。対する家賃は月25万円である。資金はあっという間に底をつき、金がないから仕入れができない、仕入れができないから売れないという悪循環に陥った。

追い詰められ一計を案じた。そもそも金も信用もない私がまともな仕入をやって勝てるわけがない。そこで大きなメーカーや問屋の倉庫の裏口を日参し、廃番品やキズもの、サンプルや返品商品などの処分品を格安で分けてもらえないか掛け合った。

深夜営業でブレーク

店は見る間にガラクタ商品で埋め尽くされた。何とか一息ついた泥棒市場だったが、また売れなくなってきた。お客は欲しいもの、必要なものしか買わない。だから売れないものだけが残っていく。店は「死に筋」の山となる。一方、仕入はいつもその場限りのスポット仕入だから、計画的な売れ筋の補充などが不可能である。再び泥棒市場は存亡の危機に立たされた。

ある日の閉店後の夜、店内は満杯の在庫でスペースがないから、店の外で看板の明かりを頼りに作業を行っていた。すると道行く人に「店はまだやっているんですか?」とよく声をかけられた。もちろん「やってますよ」と笑顔で答える。夜遅く来店されるお客は、大概アルコールが入っているせいもあってか、ゴミの山のような商品でも、逆に面白がってよく買ってくれた。そこに大きなる可能性を見出したのである。

泥棒市場は夜12時まで営業した。それが評判となり、ある日ラジオ局のディレクターが訪れた。そこで厚かましくもテレビ局も紹介してくれないかと頼み込み、テレビ放映が始まった。撮影直前に近所を「大安売りしますよ」と走り回り、お客がおしかけた。その光景がオンエアされた直後から「ゴミの山」はあっという間になくなった。

ドン・キホーテの誕生

泥棒市場は有名な繁盛店になった。店は一人では切り盛りできなくなったが、雇った従業員がなかなか定着しない。だから多店舗展開ができない。そこで、泥棒市場は他人に譲渡し、卸専業でいく事にした。独自に始めた電話セールスが大当たりをとる。年商約50億円という関東最大級の現金問屋にのし上がった。しかし、満足できなかった。そこで、泥棒市場で培った創業の原点、小売業に打って出る事にした。

1989年3月ドン・キホーテ1号店(府中店)を開業した。始めてすぐ難題にぶち当たった。実際に店づくりに関して、考えている事が突飛すぎて社員が分かってくれないのである。悩み苦しんだ末、最後に行き着いた解が徹底した権限委譲だ。失敗は多々あったが、社員の目の色が俄然変わった。仕事が労働ではなく、ゲームに変わったからだ。年商5億円の店が、いきなり月商4億円の超繁盛店に大化けした。

「人の心のありよう」が有望なマーケットをつくる

当時の私は流通業に関しては全くのど素人。だから、お客のしぐさや行動、心の動きなどを必死で観察し、そこに秘められたニーズを掘り起こし、結果としてお客が喜んでくれるような店づくりと品揃えに徹するより他になかった。

しかし、こうした戦略と手法が、深夜営業、圧縮陳列、スポット商品MD、POP洪水という、その後のドン・キホーテのオンリーワン商法とも言える必勝フォーマットにつながっていった。

 

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