僕の死に方 エンディングダイアリー500日

発刊
2012年11月22日
ページ数
205ページ
読了目安
215分
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流通ジャーナリストの生涯
昨年、41才という若さで急逝した流通ジャーナリスト金子哲雄氏の遺作。流通ジャーナリストとしてテレビに出演し、人気になるまでの物語や仕事哲学、闘病生活などが綴られている。
働く事とは何か、生きるとはどういう事かを改めて考えさせる作品。


■流通ジャーナリストの原点
3歳の時に、初めて一人で買い物に行かされた時から「安く買う」ことが大好きだった。我が家の教育方法はちょっと変わっていて、なんでも実地で経験させるというものだ。「まず疑って、そして自分で調べなさい」これが母の口癖だった。

当時はインターネットなんてない。だから、足を使って現場に赴くしか手がなかった。例えばテレビで「今、Aという店が流行っています」と報じると、実際、様々な行列を眺めに行った。この自分の足を使った現場主義は、流通ジャーナリストとしてテレビに出るようになっても、終生変わらないスタイルになった。

母の実地教育の最たるものは「お小遣い=買い物のお釣り」制度だった。母は、ギリギリの金額しか渡してくれない。必然的に安いモノを探す行脚が始まった。日課はチラシのチェック。さらに価格変動のグラフをノートにメモるようになった。そうすると、商品の平均価格や底値がわかってくる。Aというスーパーで最安値で売っているとわかると母に教えてあげた。母の「えらい!」といううれしそうな声と笑顔を今でも覚えている。

お買い得情報を伝える人になりたい

テレビや新聞以外に、大きな情報ソースが女性週刊誌だった。芸能ニュースが大好きだったので、小学生の頃から、母にねだって毎週買ってもらっていた。記事を見て、どこどこのお店が流行っているとあれば、必ず覗きに行ったし、芸能人御用達のお店というのも好きだった。

「流通ジャーナリスト」を志す、大きなきっかけは高校2年生の時だ。学年で1番というぐらい数学ができるクラスメートがいた。同級生の誰よりも数学が好きな奴に勝つ事はできない。やっぱり好きな事で勝負しないと勝てないと悟った。真っ先に思い浮かべた事は、価格情報を話して喜ばれた体験だった。

大事なのは自分なりの方法で相手を喜ばせること

「お買い得情報を伝える人」になるには、コンサルタントになるのが手っ取り早いと考えた。そのためには、顧客が必要だ。将来の顧客を確保するためにも、会社に行く必要がある。就職活動では300社の面接を受け、内定をもらった5社の中から、石油会社を選んだ。個人資産を持っている方々に簡単にアクセスできるのが石油会社だった。ガソリンスタンドの経営者は、その土地の地主さんや名士である事が珍しくない。

石油会社時代、関西方面のガソリンスタンドを担当した。その中で、ひときわ売上を伸ばしているオーナー社長がいた。商売の基本は「相手を喜ばせる」こと。石油会社の社員の仕事は、オーナーに喜んでもらうことだ。ちょうど、このオーナーのお孫さんが大学受験時期で、勉強をみてあげる事にした。結果、第1志望校に合格。オーナーはものすごい喜びようで「金子に世話になった」と、経営者仲間に言って回ってくれた。

会社を辞め、独立して早速コンサルタントを始める事にしたが、仕事が入ってくる訳ではない。例のガソリンスタンドのオーナー経由で、オーナーの地元の商工会議所から講演の依頼が飛び込んできた。彼ら中小企業の経営者には、一つ共通している事がある。「1円でも安く!」、彼らはお金のありがたさを身をもって知っている。だから、そこをテーマにして話す事が「喜ぶこと」につながるのだ。

この講演を聞いた方々から「うちでもやってくれ」という依頼が相次いだ。講演会が次の講演会の営業になった。この時初めて「流通ジャーナリスト」を名乗った。

人気ジャーナリストへ

テレビに出演するには、ネームバリューが必要だが、流通ジャーナリストとして名を上げるきっかけは、ちょっとした偶然だった。報道情報番組『ブロードキャスター』の街頭インタビューを受けたのだ。その放送をたまたま学生時代の友人が観ていて、電話をかけてきた。友人から事務所に入るようにすすめられ、久米宏さんなど多くのキャスターを抱えるオフィス・トゥー・ワンという事務所を紹介してもらった。こうして歯車は大きく動き出した。

 

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