アメリカで唯一の日本人漫画家ミサコ・ロックスが語る「アメリカでチャンスをつかむ技術」③

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■これで帰ったら負け犬だわ

ニューヨークに行ったものの挫折し、カネもない。そんな時に9.11が起きてしまいました。本当にひどかった。それでも、アメリカに残りたかった。大学も卒業して留学までしたのに、これで何も吸収せずに帰ったら、これは負け犬だわと思いました。何か結果を残さないともったいない。せめて彼氏ぐらいはつくらないとダメだって思いました。

ある日、私がフェイス・ペインティングや、風船で動物を作るアニマル・バルーンをやっていたときに、一人の女の子が「日本人だ」って、声をかけてきました。それで、家がないと話したら、ウチに来てもいいと誘われました。

その女の子から、中学校で美術教師とかやってみればいいんじゃないか、と言われたんです。そこでまた教師の募集もしていないのに、教育委員会に電話して、教師の仕事を手に入れることができました。

ニューヨークの中学校といっても、荒れているところが多くて、先生もすぐ辞めてしまうんです。実際に行った中学校には、少年院鑑別所上がりの子とかがいて、みんな話す内容はマリファナとセックスばかり。とにかくヤバいんです。廊下には警備員とかいますし、私は少年院にいるのかな、みたい感じでした。そこで1年以上教えたことで、鍛えられました。

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■流れ流れて、漫画と出会う

教師としての仕事を得たのですが、その後ビザの更新がうまくいかなくて、日本に帰らないとならなくなりました。ちょうどその時に、友達から連絡があって、あるミュージシャンのライブを見に行ったらと言われました。そのミュージシャンが超かっこ良くて一目惚れ。それが元旦那です。

当時は、ものすごく太っていたんですけど、とにかく押せ、押せで。そして時々、大和撫子で。オンとオフを使いながら、結婚するまでいきました。

ただ、結婚したのはいいけれど、すぐに終わることになりました。彼の出身地のウィスコンシン州に引っ越したのですが、これまたド田舎で周りは彼の友達ばかり。彼との関係が悪化する中で、味方もなく、精神病みたいになってしまいました。

その頃、町の子ども美術館みたいなところで受付のアルバイトをやっていたのですが、ある子どもがやって来て「あなた日本人だよね。『ドラゴンボールZ』って知ってる?」と聞かれたんです。その子は、『セーラームーン』とかも好きで、「なんで知ってるの?」という話になりました。

「今、日本のアニメがすごい人気だよ」と教えてもらって、図書館に行ったら、日本の漫画が全部翻訳されて置いてあったんです。それを見て、「ああ、漫画だ」って思いました。これまで漫画も描いたことないのに、漫画を描いてみようと思ったんです。

■ゼロから学んで、2年間プレゼンし続けた

学生時代、美術は得意でした。絵は元々好きな方。だからといって漫画家になるセンスはなかった。漫画雑誌『リボン』や『なかよし』を読んで、マネする程度で、自分でストーリーを考えたことなどなかった。

そこから絵の練習をして、漫画を読みあさって、アメリカのコミックを研究しました。漫画は楽しんで読むのではなく、研究のために読む。コマをどうやって描いているのか、その違いを見つけたり、トレンドなどを考えながら描く。描き上がったら、何回も出版社に電話して、プレゼンです。でもNOばかりで、それが2年間ぐらい続きました。

普通、アメリカでNOと言われたら、そのネタは終わりなんです。でも、私は自分のネタはいいと信じていたので、「何が悪いのか教えてくれ」としつこく聞いていました。

アメリカの出版社に行くと、作品を見せるだけでなく、プレゼンをしなければならないんです。自分の作品や記録を見せた上で、そこから表現をつけないといけない。プレゼンは、ダラダラしてもダメなので、自分で5分というタイムリミットを決めて、その中で作品の山場を伝えるようにしていました。

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■この落書きを200ページにして

二年間に何十社もの出版社に行きました。最終的に、ディズニーの出版社が「いいじゃない、これ200ページぐらいにできない?」と言って、ネタを気にいってくれました。

そのとき、「もう1つ持っているその本は何?」と聞かれて、「これは落書きです」と言って見せたのが、ちょっとしたSFアクションもの。二、三分で書いた落書きだったのですが、それを見せたら「それいいね!」となって、「この落書きを200ページにして」と言われて、いきなり契約が決まってしまいました。いいと思ったら、すぐに採用するのがアメリカなんですね。

私の場合は自分の中で選択肢は2つしかなかった。アメリカに住むか、日本に帰るか。漫画家デビューできたらアメリカに住む。できなかったら帰ると決めていました。そして、自分を第三者の目で見るようにしていました。そうすると結局「私は何をやってきたのか」というのと結びつくんです。

結婚はしたけどうまくいかない、人形師も宙ぶらりん、何もかも中途半端じゃないかと思いました。これで結局、日本に帰ったところで、もう新卒じゃないので、仕事も見つけられないとわかっていた。派遣で働くというのもやる気が起きない。

だったら、どうにかして、自分で生きる道を見つけようと思いました。2年ぐらいでどうにかなるだろうと楽観的に考えて。それぐらいじゃないと向こうで生きていけないですね。

■著者情報

ミサコ・ロックス

コミックアーティスト。NY在住。
法政大学在学中に奨学金派遣留学で渡米。卒業後、単身アメリカに渡り人形師、中学校の美術講師などを経て漫画家に転身。ディズニー・ハイベリアン出版会社から2作出版。

著書『Rock and Roll Love』がNY公立図書館ベスト・ティーンズ・ブックの1冊に選ばれる。
雑誌DFCの連載作品 『Peach de Punch!』がアジア向けの英語教科書に採用。

NHK、BBCのテレビドキュメンタリーに出演後、雑誌日経ウーマンのウーマン・オブ・ザ・イヤーの1人に選ばれる。
全米各地で講演会やワークショップにも力を注ぎ、世界で活躍を広げている。

■ウェブサイト

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