日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

発刊
2011年11月25日
ページ数
288ページ
読了目安
367分
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フィリピンでホームレス
フィリピンでホームレスなど困窮状態にある日本人を取材したルポ。
開高健ノンフィクション賞を受賞した作品。

■困窮邦人とは
海外で経済的に困窮状態に陥っている在留邦人を「困窮邦人」と呼ぶ。所持金を滞在先で使い果たし、路上生活やホームレス状態を強いられている。

日本外務省の統計によれば、2010年に在外公館に駆け込んで援護を求めた困窮邦人の総数は768人。中でもフィリピンが322人と最も多い。困窮邦人に陥る要因は、様々で強盗被害に遭う、ギャンブルで大負けする、投資話に騙されるなどがある。

しかし、フィリピンでは、フィリピンクラブで出会った女性を追い掛けて渡航する日本人男性が圧倒的に多い。大半は50歳以上。日本での就労契約が切れた女性を追いかけ、小金を貯めてフィリピンへ渡る。そこで所持金を使い果たし、最終的に女性に捨てられ、周囲のフィリピン人の民家を転々とし、食事を分けてもらいながら生きる。年間平均気温27度のフィリピンでは、食べ物にありつくことができれば生き延びられる。

一旦所持金ゼロになれば帰国は容易ではない。不法滞在になると罰金が課せられる上、航空チケット代金も必要となる。大使館も、自分の意思で渡航し、所持金を使い果たし、帰国できなくなった者に税金を貸し付けることはできないため、親類に国際電話をかけ送金してもらうよう説得する側面支援にとどまっている。

吉田正孝(仮名)48歳

愛知県内にある自動車部品の工場で溶接の派遣社員を続け、生きる楽しみを見出せなかった吉田。フィリピンクラブで出会ったジャネットを追い掛けてフィリピンへ渡航する。持ってきた現金は20万円。3ヶ月後には帰りの飛行機代金も使い果たし、ジャネットにも追い出され、辿り着いたのがバクララン教会であった。

フィリピンという異国の地でホームレス。吉田の1日は、教会内にある公衆トイレの場所を確保することから始まる。毎朝5時半頃にトイレが開くのを並んで待つ。順番が遅くなると同じ路上生活者の痰や小便で床が汚れてしまう。
午前6時になると教会近くのフィリピン人女性が経営する露店に向う。吉田はここで掃除や揚げ物用の野菜を刻んだりする仕事で日当20ペソ(約40円)を受け取る。食事は食べさせてもらい、午後になると教会周辺を散歩するなどして時間を過ごし、夜に教会の長椅子に戻って眠りにつく。

浜崎貞雄(仮名)58歳

元新聞配達員。新聞配達という職業に就くまで、浜崎は飲食業界を転々とした。都内の工業高校を卒業したが大学に進学せず、調理師の専門学校に通う。卒業後、飲食店で働くが、どの職場でも「合わない人がいる」という理由で長続きせず、調理師を辞めた。無職の状態が続いた後、新聞配達に辿り着いたときは50歳近かった。雨の日も風の日も新聞配達を続けること10年。

何の変哲もない空虚な毎日を送っていた浜崎に転機が訪れた。知人から「フィリピンであれば結婚できるかもしれない」と持ちかけられた。孤独感からの脱却、若い肌への欲求が入り交じり、知人の誘いに乗った。これが偽装結婚だということは知る由もなかった。

日本から持ち込んだ所持金5万円はすぐに底を突いた。親類とは長年音信不通で、帰国の手段はなかった。結婚相手の家族からは邪魔者扱いされ、近所の日本人男性が経営する自動車部品販売店に転がり込んだ。そこで掃除をする代わりに食事の世話を受ける生活が2年以上続いている。

須藤亮介(仮名)37歳

父親が経営するトラック運送業の運転資金を勝手にフィリピンクラブにつぎ込み、借金したことが始まりだった。消費者金融4社から借りた金を返済できず、ヤクザから借金し雪だるま式に増えた。借金地獄から逃れるために、須藤はフィリピンへ逃亡した。

逃亡のアドバイスをくれた知人の紹介で、家電修理店で世話になっが、家賃を払わないと追い出され、知人とも連絡が取れなくなった。
逃亡生活早々に困窮状態に陥った須藤は、路上に止まっている20人乗りのジープで寝泊まりすることになる。その後、知り合ったフィリピン人の知人を伝って職を転々とする。資材運搬、肉の配送、家電修理、簡易食堂。生きているだけ。仕事以前に、どうやって日々生きるかという人間の原点に須藤は立ち返っていた。

 

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