自主性とつながりのトレードオフ
過去600万年に及ぶ進化の過程で、ヒトは誰もが以下の2つの競合する欲求を持つようになり、幸せを永続的に経験するためにはそのバランスを取る必要が生じた。
・他者とのつながりへの欲求:協力し、社会的絆を結び、友情を育み、長期的な恋愛関係を築き、自分の集団にしっかり結びつきたいという私たちの願望
・自主性への欲求:自己統治すること、自分自身の欲求や好みや技能に基づいて道を選択すること、独自の決定を下すこと
この欲求が私たちの心理に刻みつけられたのは、遠い祖先が2つの重要な目的を達成する助けになったからだ。その目的とは、互いを守るために他者と絆を結ぶことと、所属する集団にとって自分を貴重な存在にするために自らの技能を磨くことだ。この目的を達成しやすくするために、私たちの祖先はそれに呼応する2つの欲求を進化させ、幸せになるにはその両方を満たさなければならなかった。
私たちは自主性があれば、成功に向けた最も有望な機会とみなすものを捉える意欲が湧いて、能力を身につけやすくなる。つまり、自主性によって各自は独特で有能になる。一方で、他者と社会的な絆を結べば、つながりへの欲求は満たされるが、不幸にも、自主性が直接脅かされる。相互依存すると、自分の行動が他者に及ぼす影響を考える必要が出てくるので、選択の幅が狭まる。逆に、自分自身の目標や好みを他者の欲求や願望に優先させれば、自主性を最大限に発揮できるが、誰かのパートナーや集団のメンバーとしては好ましくなくなってしまう。
他者とのつながりと自主性は最も重要な心理的欲求であり、それはこの2つが私たちの祖先の生存と繁栄を助ける上で最大の役割を果たしたからだ。これらの欲求は、今日でも相変わらず重要だが、私たちは今や両者のバランスを取り損ねている。
つながりが不足している現代社会
先進社会に暮らす人は今、自主性が過剰で、つながりが不足している。このアンバランスは、裕福で高度な教育を受けた西洋の都市生活者の間で際立っているが、どこでも見られる。
私たちは、祖先を成功させたようなやり方でつながりと自主性のバランスを取った時に最も幸せになるように進化したのなら、そのバランスの取り方はもう理想的ではないのかもしれない。祖先の時代に機能した方法が今では私たちを苦しめる原因にもなりうる。
私たちの祖先の時代には、自主性を選べるような状況は稀だったため、可能な時はいつでも自主性をつかみ取るという傾向が備わっていても、自主性とつながりの適切なバランスが取れた。ところが現代世界では、自主性が生まれる機会は、どこにでもある。その結果、選択権を与えられたら自主性を選ぶという、私たちが進化させた傾向は、一種の欲求ミスとなり、これら2つの欲求のバランスを乱してしまった。
現代世界では快適で安全に暮らせるからといって、私たちが幸せになれるわけではない。自主性を優先すれば欲しいものは手に入るかもしれないが、必要なものは手に入らない。つながりを欠いた自主性は満足のいかないものである。呼応した過剰な自主性と過小なつながりは、まさに現代の先進国で暮らしている人の生活の特徴である。私たちはもっと人生につながりがあった方がいい。
つながりを復活させる5つの方法
①変化とその維持は簡単でなくてはならない
つながりを促すためには、最も抵抗が少ない形で生活に組み込むことだ。まず比較的簡単にできる時には、人と直接会うのがいい。共通のことに関心事があることが鍵になる。人は人間関係を重んじていても、誰かと会うのがもはや容易ではなくなったら会うのをやめてしまうものだという事実を心に留めておく必要がある。
②つながりのために介入するなら、新しい習慣を確立する必要がある
つながることを日常の習慣の一部にできれば、手軽にできる。新たな習慣を身につけるための最善の方法は、「実行意図」を形成することだ。つまり、何か別の出来事と組み合わせる計画を立てるということだ。
③つながりのための介入を活用して、日常生活の他の目標を強化する
つながりの目標を日常生活の目標と融合させることによって、両方を達成する可能性を高められる。
④職場でつながる
パソコンの前で食事をせずに、同僚と食事をする。
⑤物事を1人で行わない
自分の活動を他の人の活動と結びつけると、興味を共有する新しい友人ができる可能性は十分にある。同じことが他の多くの活動にも当てはまる。
自主性とつながりの間のバランスは、多少の個人差や、途中での多少のブレはあるものの、自然に進展していくので、バランスの回復は1回限りの行為ではない。