カーネル・サンダースの教え 人生は何度でも勝負できる!

発刊
2012年9月7日
ページ数
240ページ
読了目安
259分
推薦ポイント 8P
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65歳無一文から「ケンタッキーフライドチキン」を立ち上げた男の人生とは
カーネル・サンダースは、65歳で無一文になってから、ケンタッキー・フライドチキンを創業し成功した。カーネルは、それまで、どのような人生を歩み、どのような考えを持っていたのかがわかる1冊。


■カーネル・サンダースの人生
・農場の手伝いからペンキ塗り
・ペンキ塗りから再び農場の手伝い、さらに路面電車の車掌
・路面電車の車掌から軍隊入隊、除隊後に鍛冶屋見習いに
・鍛冶屋見習いから機関車の灰さらい、機関士に
・機関士から弁護士実習生に転身
・弁護士の実習生から保線作業員、その後プルデンシャル保険のセールスマン
・保険セールスマンからフェリー運航会社を設立。さらに商工会議所の秘書
・秘書を辞め、フェリー会社からも手を引き、アセチレン・ライト製造販売会社設立
・アセチレン・ライト製造販売会社が倒産し破産
・ミシュラン・タイヤのセールスマンになるも事故で大怪我をし退職
・スタンダード石油のガソリンスタンドを経営も、世界恐慌の影響で破綻
・シェル石油のガソリンスタンドを経営し、レストラン、モーテルを設置し大成功
・投資に失敗し、さらに巨額の税金の支払いで実質破産
・モーテル事業が再び軌道に乗ると州議会議員に出馬も落選
・事業不振でレストラン、モーテルを売却。65歳で無一文になる
・フライドチキンのフランチャイズ・ビジネスを始め、90歳まで活躍

カーネルのビジネス哲学

カーネルは10歳の時、家計を助けるために外に働きに出た。カーネルの仕事は、月2ドルで農場主の家の近くにある森の木を伐って更地にするというものだった。しかし、森には鳥やリスが多数いて、10歳の子供はそちらに目を奪われ、木を伐るどころでなかった。1ヶ月経っても決められた場所を更地にできなかったカーネルはクビになる。

カーネルは後に語っている。
「ワシのビジネス哲学は、月給たったの2ドルの仕事をクビになった時に固まったんじゃ。ワシはただ2つのルールを守ってきただけなんじゃよ。

・できることはすべてやれ。
・やるなら最善を尽くせ。

これが何かを達成するための唯一の流儀じゃないかな。」

以後、カーネルは職を転々とするが、この2つのルールに背くことはなかった。

2つのモットー、4つのテスト

カーネルは、軍隊や鉄道会社の仕事を経て、親戚のつてでプルデンシャル保険のセールスマンとなる。早朝に起きて飛び込み営業をする。夜は街灯の下で見込み顧客カードをチェックし、家に明かりがついているならば構わず訪問した。がむしゃらに働き、やがて営業マンのトップレベルにのし上がった。

この時期、カーネルはロータリー・クラブの会員となり、次の言葉に衝撃を受ける。

・最も奉仕する者が最大の利益を得る。
・我が身の前に奉仕せよ。

他人に奉仕するとは、要するにニーズを的確にとらえて、それにふさわしい何らかの価値を提供することだ。そして提供する価値の質が高ければ、人は競ってその価値にお金を支払う。以後、カーネルはこの2つのモットーを、何かを実行する際の基準にいしている。

さらにカーネルはロータリー・クラブで「4つのテスト」と呼ばれる重要な考えに出会っている。これは人が何か事業を行おうとする際のチェックリストだ。

①嘘偽りはないか?
②関与するすべての人に公正か?
③信用と信頼を築けるか?
④関与するすべての人に利益があるか?

以後、カーネルは新しいビジネスを始める際に、この4つのテストでその価値を検証するようにした。

徹底した顧客サービス

カーネルは保険営業で好成績を上げていたが、やがて会社の方針と自分の信念とが合致しなくなり、職をやめ事業家として独自の道を歩む。フェリー運航、ランプ製造販売、タイヤのセールスマンを経て、ガソリンスタンド経営に至る。

ここでカーネルは、徹底した顧客サービスを導入し成功する。窓ふき、タイヤの空気点検、早朝営業、パンク修理。多くの客がカーネルの店を使うようになった。その後、元々料理の腕に自信のあったカーネルは、トラック運転手や旅行者に食事を提供するレストランを開業。ここでフライドチキンが評判となり、やがて一大ビジネスとなっていった。

 

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