職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発

発刊
2024年7月20日
ページ数
304ページ
読了目安
330分
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能力主義を超えて組織のパフォーマンスを高める処方箋
仕事の成果は、上司と部下、チームなど職場における関係性の相性によって、大きく影響を受ける。しかし、能力主義によって、仕事の全ての成果は、個人の能力の問題であるとされ、そのことが、職場における傷つきを生み出し、組織の問題となっている。

いかに能力主義を超えて、組織の問題を個人の能力問題にしないか。適切な人材の組み合わせにより、組織のパフォーマンスを高めるための価値転換を行うための一冊です。
全ての問題を個人の能力として決めつけ、組織の問題を悪化させないための処方箋が書かれています。

職場の傷つきの正体

「職場で傷ついた」というシンプルな日常的経験は、意外にも次のような発言に擬態し、一部の「問題を抱えた人」「できの悪い人」の話へと転じていないか。

「あの人やる気ないよね」
「この部署は問題社員ばかり」
「残念な上司のもとで成長しそうもない」

その矛先は、相手の「やる気」や態度、「リーダーシップ」をはじめとする「能力」への「評価」に向けられていることが多いが、これらの一見それっぽく聞こえる「能力の評価」こそが、「職場で傷ついた」と言わせてくれない労働・職業世界をつくっている。

 

誰が正しくて、誰が間違っている、という単純な話ではない。お互い異なる「持ち味」があるのが人間である。組織としてどこか「うまくいっていない」状況は、個人の問題というより「組み合わせの問題」である。このすれ違いこそが、「職場の傷つき」の正体である。問題なのは、この「職場の傷つき」がなかったことにされ続けている点にある。

職場における問題を本当に解決するのなら、「誰が問題か?」のレッテル貼りではなく、「組織の何が、この人を追い込んだのか」を再考することが必要である。

 

「職場で傷つく」と言えないメカニズム

「職場で傷つく」と思いもしない、言えない社会は、次の3つのステップが生み出している。

①「個人の問題」にする

問題の個人化により、「職場の傷つきなんて個人的なことだよね」と軽んじられる。よほどのことがない限り、組織の喫緊の課題に「個人的なこと」は入ってこない。部下がどんどん辞めて、部署に人がいなくなるぐらいの事態に見舞われない限り、「職場の傷つき」などは議論の俎上にもあがらない。会社側も「傷ついた社員」を仮に見出したとしても「個人的なこと」として片付ける方が都合が良い。

 

②「問題の能力主義化」という追い討ち

「職場の傷つき」について組織側が直接的な因果を背負わず、個人でどうにかすべき問題と設定していく価値観が「能力主義」である。能力主義とは「できる人はもらいが多く、できが悪ければもらいが少なくてもやむを得ない」と社会全体が腑に落ちている状態である。

この能力主義こそが、職場で本来はびこっている「傷つく」という事象が語られず、「ハラスメント」やおとなしい社員の「訴訟」など、行きすぎた事象として問題が表出するまで、日々の営みにおける個人個人の負の感情には目が行き届かない状況を作り上げている。

 

能力主義の問題は、「能力」の虚構性にある。「能力」を公平に測定・比較し、取り分を決めていると言っても、何をどう測定しているのかはブラックボックスである。

働くということ 「能力主義」を超えて

 

③「コミュニケーション能力」というとどめ

「職場の傷つき」も、「出来・不出来」の話に還元され、極限に達するまで、取り合ってもらえない。経団連の調査では過去20年にわたって「コミュ力」は「求める人物像」でも「新卒者に求める能力・資質」ランキングでも1位に君臨し続けている。しかし、これが「職場で傷つく」と口外させない装置になっている。「職場で傷つく」かどうかは個人次第、それも特に「コミュ力」の問題というロジックが通りのいいものだからである。

職場環境でなんとかうまくやることを、ざっくりと「コミュ力」という、わかるようなわからない個人の「能力」として表し、そこにすべてを背負わせている。

 

職場の傷つきを当たり前にしない職場をどうやってつくるか

「能力」とはどう折り合いをつけながら、お互いの合理性を大切に、誰かに一方的に口を塞がれることなく生きていくことができそうか、といった共生・連帯の道筋をつけるには、次の3点が、企業や社会に不可欠である。

 

①あなたも私も揺れ動いている

能力とは刻々と変化する状態である。大事なのは、その人らしさは固定的に、ある人に内在したものだと思わないことが肝要である。他者との関係性、その場の雰囲気など、周りの影響を受けるのが、人が人と共に在ることである。

ある人の見え方は、その人が固定的に保持しているかの「能力」ではなく、あくまで互いに影響し合って揺らぎ進行する「状態」である。

 

②「能力」を上げるのではなく「機能」を持ち寄る

状態の違いは決して、「能力」の違いとイコールではない。どこでも何でもうまくやれる「能力」の高い人を求めるのではなく、職務に対して適合的な「機能」を持ち寄れているかで組織を眺めることが重要である。

 

③試行錯誤すべきは「組み合わせ」

職場は、個人に内在した固定的な能力が動力となって回っているわけではない。その足元で、人と人の持ち味の持ち寄り・組み合わせによって何とか回っている。その組み合わせがうまくいっている時は、仕事も回っている。

個人の結果ではなく、どう行動したかという点を把握し続けること。人材にとって必要なのは、評価ではなく、配置・処遇の権限を持つ人からの綿密な観察である。