倉本長治の商人学
「店は客のためにある」と訴え、全国各地を手弁当で赴き、商業の正道を問いたのが、倉本長治である。倉本は、戦前から経営指導者として、また出版人として商業の発展と商人の育成に尽力した。出版社「商業界」で主幹として筆を執り、商人たちに直接語りかける場として「商業界ゼミナール」を主催し、多くの商人たちに進むべき道を示し、励まし、導いた。その功績から倉本は「日本商業の父」「昭和の石田梅岩」と呼ばれた。
倉本の教えを簡潔に表現するなら、次の一文がふさわしい。
「店は客のためにあり 店員とともに栄え 店主とともに滅びる」
「店は客のためにある」とは商業の基本精神であり、根本的な使命として、倉本が自身の思想の中心に置いたものである。使命とは、関わる人々の暮らしを守り、社会と文化の発展に役立つことに他ならない。商業はそうした営みがビジネスとして機能して、初めて使命を果たしていると言える。
「店員とともに栄える」というように、倉本は「店員は店主の分身である」と言い、従業員とは商いの正道を手を携えて歩む仲間であると説いている。「店主とともに滅びる」は、「真の商人であることが即ち、立派な人間ということだ」という彼の商人感から真意が汲み取れる。「商人である前に、人間であれ」と訴え、人間としての正しさ、愛情や誠実さこそ、商人に最も大切な素養であると説いた。それゆえ、店主が正しさや愛情、誠実さに裏打ちされる倫理観を失った時、店というものはあっけなく滅びるのだと倉本は戒めた。
商売十訓
倉本長治の思想を体型立てて論じるために用いられたのが「商売十訓」である。
①損得より先きに善悪を考えよう
「商いの目的は儲けるところにない」と倉本長治は断じる。お客様の暮らしを豊かにするところに商人の使命があり、その成果を「繁盛」というのであって、結果として儲かるようにするのが商人の務めだという。
そして、正しい商売だけが「真」「善」「美」という人間の理想とする価値と一致する。自分の利益よりも、人としての道義を優先すること。それは必ず自他の「善」に通じ、関わる人すべての幸せにつながる。
②創意を尊びつつ良い事は真似ろ
真似る事は学びの基本であり、良いことの真似から学びは始まる。但し、目に見える事柄の物真似だけでは、その本質を自分のものとする事はできない。良いものの中にある本質を理解し、学ぶところに創意が生まれる。形だけを真似て、学びを止めてしまうと陳腐化から逃れられない。
③お客に有利な商いを毎日続けよ
倉本長治は、商いと金儲けの違いを「商売は一品売るごとにお客様の喜びと満足が長く続く性質を持つ。金儲けには、このような心の満足を相手に与えることがない。そこに商売と金儲けの大きな開きがある」と断じている。人のために役立ちたいという使命感が持てることほど、毎日の商売を楽しく、やりがいあるものとするものはない。
④愛と真実で適正利潤を確保せよ
価格は商人の哲学の反映であり、品質は商人の誠実さを映し出す鏡にほかならない。店に並ぶ1つ1つの商品の価格と品質を見直す。常にお客様の利益を守りつつ、かつ己の利益も外さない値決めこそ商いの要諦である。
⑤欠損は社会の為にも不善と悟れ
「客の為」という時、そこには商人の哲学がなければならない。何のために、誰のために、何を売るのかという信念がいる。
⑥お互いに知恵と力を合わせて働け
倉本長治は成功の秘訣として「商人の成功の道連れは従業員である。途中ではぐれないためにも真実と愛情の絆が必要である」という言葉を遺し、人材育成の基本として「人を育てるには何の秘訣もいらない。店員もまた自分と同じく間違う人間だと知ればよい」と説いている。店員とともに喜び、ともに泣けることが繁盛の王道である。
⑦店の発展を社会の幸福と信ぜよ
本当の商いとは、相手に得をしてもらうところから始まり、幸福を提供し続けることを使命とする。倉本長治は販売という営みを「売る者の幸福は、買う人の幸福をつくるという一事である」と説いている。
⑧公正で公平な社会的活動を行え
得とは誰にとってのものか。第一にお客様にとって得かどうか。第二にお客様が大切にする人にも得かどうか。第三は、それらを含む社会全体にとって得かどうかである。商いの役割は、一を二へ、二を三へと高めていくところにある。
⑨文化のために経営を合理化せよ
数字だけでは経営のあらゆる実態はわからない。目先の損得を超えた深い知恵が必要である。計数にとらわれて間違った方向へ進まないこと。誠実な商いにこそ繁盛はあり、知恵の深さが利益をもたらす。
⑩正しく生きる商人に誇りを持て
倉本長治は「奉仕を主人とするとき繁盛は近づき、利益を主人とするとき繁盛は遠のいていく」と言う。商いという営みは他者に対する善意と努力を尽くすことだという自覚があって初めて、商人は幸福でありうる。