ツインバードはなぜ町工場から世界的メーカーになれたのか
ツインバードは新潟県燕三条地域の小さな町工場として、1951年に創業し、今では年商100億円を超える家電メーカーへと成長している。ツインバードは、元々は下請けのメッキ加工業だった。その後、トレーなどの洋食器やギフト商品を手掛けるようになり、家電メーカーへと転換した。現在は、冷蔵庫などの白物家電を含むライフスタイル家電製品の企画から開発、製造、販売、アフターサービスまで一気通貫で行っている。
ツインバードが今のような企業へと成長できたのには、次の3つの理由がある。
①下請け企業から脱却したこと
金属メッキ加工の下請け企業としてスタートしたツインバードは、1962年に自社で製品開発に踏み出す決断をした。はじめて手がけた自社製品はフライパンで、大きな売上と利益を得た。並行して開発した冠婚葬祭用のギフト向け金属トレーの中には、1000万枚以上を売り上げたヒット商品もあった。
②時代の変化を捉えて大きな事業転換をしたこと
ある時、冠婚葬祭用のギフト商品を取り扱う取引先から、毎年同じものだとお客様が飽きてしまうので、家電製品をつくって欲しいと要望された。そこで卓上照明を開発し、これがきっかけで家電メーカーへと事業転換することができた。
③世界に誇る技術を持つ燕三条という立地だったこと
本社がある燕三条地域は、江戸時代の和釘づくりから始まり、金属加工の町として発展してきた。今も金属加工や樹脂加工などの町工場が集積しており、その技術は世界に誇る素晴らしいものである。
ツインバードの強み
かつて、家電メーカーのビジネスモデルは、良いものをより安く、そして1人でも多くのお客様にお届けするというものだった。これが、当時の勝ちパターンであり、「人・モノ・金」というリソースを多く持つ大手企業が有利な時代だった。現在は人口も減少に転じ、家電製品も普及したことで、つくれば売れるというわけにはいかなくなった。
現在では、個が尊重されるようになり、「自分のライフスタイルを重視したい」といったニーズの多様化が進んでいる。こうしたニーズの多様化にフィットするためには独自性のある市場を創造する必要がある。ここに中小家電メーカーにも大きなチャンスが到来している。
ツインバードは、カタログギフトとセールスプロモーション用の家電製品を手がけてきた。これら家電製品は、お客様に飽きられるため、毎年同じものを企画・開発するわけにはいかない。とにかく新しいアイデアを出し続ける必要があり、品揃えの豊富さが問われてきた。
その結果、必然的に企画・開発スタッフが約70人にまで増えて、全社員の20%を占めるようになった。ツインバードでは、お客様のニーズをカスタマイズして具現化する力を、当時からずっと鍛え続けてきた。これが今につながるツインバードの強みになっている。
ツインバードの特長の1つは、ロングセラー商品が非常に多いことである。代表例が「くつ乾燥機」や「お茶ひき器」といったオリジナリティあふれる製品である。その理由は、たとえ20年前に企画したものでも、その段階での差別化が現在でも際立っているからである。他社が製品化できないものでも、お客様の声に真摯に耳を傾けて「不」を解消する製品としてカタチにする。
大切にしているのは、お客様を明確にすること。技術を詰め込むだけ詰め込んで「誰でもお使い頂けます」というような製品づくりはしない。生活者のお困りごとや「不」を解消するにはどうすればいいのかを徹底的に考え抜いて製品を企画・開発する。
マーケットと対話する
ツインバードには現在約300種類の製品ラインナップがある。製品を開発していると、売れないものも必ずでる。百発百中でヒットさせることは不可能である。そこで、たとえヒットしなくても、そこから気づきや学びを得る。お客様の声を真正面から受け止め、次の製品に反映させていくという作業を繰り返していく。
自社のコールセンターに入ってきたお客様の声やインターネットの口コミ、SNSに入ってきた声、あるいは営業担当者が流通企業と商談している時に頂いた話などを参考にして、解決すべき課題を見出したり、顕在化している製品の問題点を徹底的に掘り下げたりする。
全く売れなかった製品を再びつくり込んで、復活させる。リベンジのために後継機種としてもう1回マーケットに問う。そうすると、やっと売れる。
つまり、ツインバードは市場と対話している。極論すれば、市場といつも呼吸しているのである。だからこそ、諦めないで製品をつくり込んでいけば必ず売れるようになる。