脳の好き嫌いを調べ、デザインに活かす
デザインが原因で失敗を誘発する製品は少なくない。すべてボタンが同じ形のテレビのリモコンなども、その1つに挙げられる。そのようなデザインは、使う側の効率や利便性ではなく、作る側の予算や思い込みなどを中心に設計されていることがほとんどである。
デザインとは美しさや感動だけではなく、暮らしやすさや使い勝手、人生の生き方、そんなことにも大きく深く関わっていて、それらはきちんと設計すべきものである。しかし、心にひびくデザインを実感することは難しい。その理由は、感じる主体が顕在意識だけではないからである。
こうした問題に対して、「メンタルモデル」を明らかにしていくことが大切である。「メンタルモデル」とは、脳が外界で起こる出来事について受容し処理して反応するプロセスのことである。
メンタルモデルを理解するために、脳の好き嫌いを使って、脳の特性を調べる。脳には人それぞれ、あるいは万人に共通な好き嫌いがある。そして、その好き嫌いに基づいて、普段は意識しないところで、その好き嫌いを自動的に判断して、そして、その結果を踏まえて行うべき行動を決定するような脳内処理が行われる。
自分を取り囲む環境や人間関係、そんな外界から訪れる様々な刺激が、脳に内蔵されたメンタルモデル・ピースの型とうまくはまれば、脳はその刺激を抵抗なく受け入れる。うまくいくと、脳の中のつながりも変わり、その外界からの刺激に対して、より効率的に脳が働くようになる。
「心にひびくデザイン」とは、人々のメンタルモデルの型にはまるデザインのことである。要するに、メンタルモデルの型にはまるように、外界の刺激を設計することで、人の行動や学習に変化を与えることができる。
心は脳によって生成される
心は環境からの刺激を身体で受けて、脳内に準備されたメンタルモデルとのマッチングによって生成される。心の状態と1対1で対応する脳の状態というものが存在する。
こうした考え方をもう少し先まで推し進めていくと、その脳の状態が特定できれば、原理的には心というものを再現することができる。「赤い」に対応する脳の状態を人為的に引き起こすことで、その人の心に赤いという印象を生じさせる。脳の化学反応は、電場または磁場で駆動できるので、ある心的状態に対応する脳の状態を電磁気的刺激で作ることができれば、見ていなくても「赤い」という印象を脳に持たせることは可能である。
入力された信号が脳で変換され、自分自身が環境に対して正しく働きかける信号を選択して出力されるプロセスには、物・情報・社会といった、身体の外側にある「環境」が重要な決定要因になる。
ごく初期からの環境が脳の根本を作っていることを考えると、メンタルモデルもごく初期に作られ始めることになる。従って、胎児の時から脳をどのように育むのかはとても大事な概念である。また、メンタルモデルの形成が、個人の経験によるものだけでなく、多世代間の経験の継承も影響してくるとなると、個人を取り巻くあらゆる環境の質をどうするべきかは、重要な基本的課題であると考えられる。
人の心を計測し、環境をデザインする時代がきた
脳が環境に適応するために、強靭なメンタルモデルを習得するには、強靭なメンタルモデルを作るための環境刺激が必要である。どのような環境刺激が脳にとって良いのかを考えることは重要である。つまり、環境を最適化することこそが、脳を良くするためには最も重要なことである。人の心を中心とし、その心の拡張を意図した環境設計という概念が今度大切になってくる。これまでは物差しや秤で事足りていたものが、心まで踏み込んで環境を設計するとなると、人の心まで測れる計測器が必要になる。
メンタルモデルの生物学的なエビデンスを獲得するために、脳機能計測技術の進歩は重要な一角を占めている。日立製作所の中央研究所で開発した「光トポグラフィ」という計測技術は、ほぼ日常的に近い状態で脳の活動を可視化できるというのが特長である。
この技術は、比較的生体を透過しやすい微弱な光を用いて、酸素化ヘモグロビン、脱酸素化ヘモグロビンの量の変化を計測する。光トポグラフィでは、脳の大脳皮質と呼ばれる部分から散乱してきた光を検出して、その部位の血流の変化を測定する。
これまでよりも、人のことを考えた環境デザインを、生物学的なエビデンスに基づいてデザインできる時代が来た。