死をいかに管理してきたか
グローバリゼーションが幸福をもたらすという見通しは疑わしい。大きな成功を収めたとしても、失敗は成功に重くのしかかり、人類の大半は耐え難い現実に直面し、未来は邪悪な活力を得る。手をこまねいていれば、我々は経済、社会、エコロジー、政治、軍事などの面で、最悪の事態を迎える。諸悪の根源は何か。
古今東西、社会秩序は生者が死に与える意義に基づいてきた。どの社会でも太古から死を耐え難くないものにしようとしてきた。特に権力者たちのために儀式を行い、生贄を捧げ、そのための財源を確保してきた。少なくとも12世紀以降、西洋では人々は死とのそうした関係を、死後の世界の意義ではなく、希少な財のの管理において扱うようになった。その中でもますます希少になるのが時間だ。時間は、現世の管理において、最大限の自由を探求するという形で扱われるようになった。なぜなら、自由になればなるほど、時間をはじめとする希少な財をもっと手に入れようとするからだ。
市場と民主主義の崩壊
自由な社会では、希少性の管理は2つのメカニズムが担う。私的財であれば市場であり、公共財であれば民主主義である。これらの2つのメカニズムは、物々交換、専制的な割り当て、独裁などに取って代わった。
自由が希少性と死によって束縛される社会では、自由という幻想は市場と民主主義によって維持される。市場と民主主義は、必要な財の量を増加させる条件を生み出すための最良の手順である。閉ざされた領土では、市場は中産階級を育成しながら民主主義を強化し、民主主義は法の支配を強固にしながら市場を強化する。市場と民主主義は互いに強化し合いながら新たな富の創造を促進する。
ところが、我々の暮らす世界はすでに閉じておらず、全く別の力学が従来の市場と民主主義の蜜月関係を破壊し、我々の世界を逸脱させた。社会では、自由な不安定な生活と裏切りを生み出し、公益は消え失せた。そうした社会の力学により、希少性と死に対するこれまでにない関係が模索されるようになった。すなわち、宗教への回帰である。
現状と未来予測
市場と民主主義が破壊された現状とそこから予測される未来は次の通り。
①現在までのところ、政治と経済の自由に基づく社会組織は、世界で最も優れた制度だった
②しかしながら今日、このシステムは機能不全であり、世界は奈落の底へ突き落とされる寸前である
③今日、市場はグローバル化され、法のない支配のない状態にある
④国内に閉じこもる民主主義はますます空虚になり、民主主義が現実に対しておよぼす影響力は減る一方である
⑤袋小路に陥り、怒りが爆発する
99%が激怒する
世界経済が審判のいない市場に支配され続ける限り、それらの要素は権力者たちに横取りされ、現在の不均衡を悪化させるだけである。技術進歩がどれほど魅力的であっても、技術進歩によって雇用は破壊され、富のさらなる集中が加速する。
次に中産階級は自分たちの所有権が尊重されないことや、不法行為や犯罪が野放しにされることに不満を募らせる。そのような世界では、従来の理論的枠組みに従い、株主と消費者は、従業員と選挙民よりも大きな影響力を持ち続ける。こうした力関係が消費と賃金を決定し、デフレが蔓延する。
さらに、地球規模の法整備がないため、自由というイデオロギーが暗黙裡に引き起こす利己主義、自分勝手、人生の意義の崩壊が激化する。2030年には、この世を耐え難く思う人々が現在よりも圧倒的に増え、経済、イデオロギー、政治などに関する些細な危機が発生すれば、世界は大混乱に陥る。世界各地で激しい怒りが渦巻き、フラストレーションが蔓延し、暴力がまかり通る。相互関係を強める世界では、それらすべてのことは、金融や軍事など様々な面において、破壊的な危機を引き起こす。