クラウド資本の台頭
封建制から資本主義への移行とは、土地の所有者から資本財の所有者へと支配力が移行したことに他ならない。そこに至るまでには、まず小作農が共有地へのアクセスを失うという過程が必要だった。土地への立ち入りを制限した囲い込みによって、資本は生産性向上という本来の役割を超えて、支配し、命令する力を急激に増大させた。すると世界中で共有地だった場所が商品化されるようになり、地球上のあらゆるところで資本は覇権を握った。資本が労働に対する支配力を強めるにつれ、資本の所有者には莫大な富が蓄積した。
富が蓄積されると、彼らの社会的な権力も強まった。資本家は相手が地主であれ、王族であれ、周りの誰にでも命令できる立場に立った。この命令する力は、200年前の資本主義の始まりから2008年の金融危機に至るまで、世界の形を変えてきた。
しかし今日、前例のないほどに命令する力を持つ、新しいタイプの資本「クラウド資本」が台頭している。クラウド資本の誕生も、資本主義と驚くほど似た順序で起きた。まず、インターネット・コモンズが略奪された。18世紀に大衆から奪われたのは、土地へのアクセスする権利だったが、21世紀に奪われたのは、自分のアイデンティティへのアクセスだ。私たちのデジタルな身分証は個人にも国家にも属していない。無数の民間企業が、私たちの行動と引き換えに情報を密かに集め、見張り、選別し、取引している。今では巨大テック企業と巨大金融機関に対して、彼らが完全に掌握している私たちのデータを使わせて下さいとお願いしなければならない。アルゴリズムが提供してくれる1人1人に合ったサービスを利用するには、彼らのビジネスモデルに屈するしかない。この「新たな囲い込み」によって、クラウド資本が驚異的な勢いで台頭することになった。
クラウド資本の特別な性質は、その支配力を自ら再生産するプロセスになる。資本はこれまで、モノを売って利益を捻出し、その利益で賃金を賄い、より多くの機械をつくってさらに生産することで、蓄積し再生産されてきた。しかし、クラウド資本は、賃金労働者がいなくても、人類のほぼ全員に少しずつ無料で協力してもらうように命令することで再生産される。
クラウド資本に蓄積された最も価値ある部分は、物理的なものではなく、SNSの投稿や、Amazonのレビュー、私たちの位置情報だ。私たちは、自分たちの行動を差し出すことで、クラウド資本の蓄積を生み出し、再生産している。クラウド資本が人類にもたらした真の革命とは、何十億もの人々を、無償で労働するクラウド農奴へと変換させたことだ。現代の農奴は、クラウド資本の再生産をその所有者の利益のために行なっており、少数の億万長者を潤している。
テクノ封建制
従来の資本のクラウド資本への変異は、資本主義の2つの柱である市場と利潤を消滅させた。市場と利潤は、私たちの経済社会システムの中心から隅っこへと押しやられ、デジタル取引プラットフォームに取って代わられた。そのプラットフォームは「封建領地」とでも呼べる。
封建制の下では、封建領主は、その土地で生まれ育った農民が耕作する収穫の一部を、レント(地代)として手に入れる権限が与えられた。資本主義が栄えるのは、利潤がレントを凌駕している場合だ。生産労働と所有権を、それぞれ労働市場と株式市場を通して販売される商品へと変えることで、利潤はレントに対して歴史的な勝利を収めた。あらゆる資本主義的大企業はレントを上回る利潤を創出し、資本主義を支配的な地位に押し上げた。
2000年代にレントの利潤に対するチャンスを与えたのはクラウド資本の台頭だった。Appleはその立役者になった。それが、社外の「サードパーティ開発者」にAppleのソフトウェアを無料で使わせ、開発したアプリをApple Storeで販売するという斬新なアイデアだった。タダで働いてくれるサードパーティ開発者が生み出す売上から一定割合をピンハネすることで富を築き上げた。これは利潤ではない。クラウド・レントであり、デジタル版の地代なのだ。
この同じ10年の間にAmazonなどのクラウド領主たちは、その封土を広げ、莫大なクラウド・レントをせしめるようになった。2020年までにクラウド資本に蓄積されたクラウド・レントは、先進国の純所得の多くの部分を占めるまでになった。こうしたレントが主役として戻ってきた現実は「テクノ封建制」と表せる。
レントは財産の中に留まり、流通せず、役立つものへの投資にも回らず、弱った資本主義社会の立て直しに使われることもない。すると悪循環が起きる。不況は深刻になり、中央銀行はさらに貨幣を発行し、収奪が増えて投資は減り、新たな悪循環を呼ぶ。そして、伝統的な資本がますますクラウド資本に取って代わられ、テクノ封建制の力がより早く強くなっていく。