幸福の2つのタイプ
幸福には2つのタイプがある。
①タイプ1
睡眠欲、食欲、性欲など人間の根源的な欲求が満たされることによる幸せ。損得で考えた時に、得が増大する幸せ
②タイプ2
他者と関係を築くことによる幸せ。困難なことを達成する幸せ
タイプ2の幸福は「意味」と結び付いていて、一見、その行為には幸福がないようなタイプのものである。「マラソンを走る」「山に登る」といった経験は、ひたすら辛そうで、最後に「ああ、やっと終わった」という感情が走る。人生において、やりがいのあることをすべて考えてみると、笑いの瞬間がある行為はごくわずかである。こうした経験は、大半の時間は複雑で難しく、労力が必要だが、その経験から何かを得る。タイプ2の幸福を追求することが重要である。
合理性が常に良いとは限らない
どうやって前向きで充実した形で生きるか。研究でわかったのは「3つのもの」が必要だということ。
①達成可能な目標
②ゴールまで行く道筋を知っている必要があること
③エージェンシー(目標に向かって主体的に動く力)
つまり、ゴールがあり、ゴールに辿り着く道筋があり、自分の主体性がなければならない。意味や目標、達成感と関係したこの「幸福タイプ2」は、ものすごく重要である。
原則として、合理性はタイプ1の幸福と関係している。経済学の標準的な理論には「意味」のようなものが存在しないからである。経済学の標準理論では、瞬間的な幸福を最大化することが目的になる。
しかし、瞬間的な幸福についてさえ、我々は何が自分を幸せにするかを判断するのが得意ではない。なぜなら、もし人間が完璧に合理的であれば、どんなものが自分を幸せにするかわかっているはずだからである。
一方で、タイプ2の幸福は完全に不合理だが、良い意味で不合理である。私たちは時折、合理的=良いことと同一視するが、合理性が常に良いとは限らない。詩も芸術もすべて、ある意味では不合理である。人間の寛大さは不合理である。我々は非合理的な動機をたくさん持っている。そして、大事なのは、こうした非合理な動機が素晴らしいものだということ。私たちはただ、こうした動機を良い形で結びつける必要がある。
他人を自分の効用関数に組み込み、意味を見つける
知識経済がこの世界に占める割合が高まっていくにつれて、タイプ2の幸福に入るあらゆることを私たちの日常に持ち込むチャンスが生まれた。タイプ2の幸福は、良い意味で不合理であり、私たちはそれを理解して日々の生活に加えていくことが大切である。
私たちは本質的に社会的な動物である。私たちは他人という社会的存在を取り上げ、経済学で言うところの自分の「効用関数」に組み込む。これが進化論的にとても重要になる。
意味というものは他人の効用を良い意味で自分自身の効用に組み込むことから生じる。一部は遺伝的なものかもしれないし、一部は学ぶものかもしれない。他人を自分の効用関数に組み込んだ瞬間に、人に見られているかどうかは関係なくなる。突如、自分の判断が「これは社会のためになる」というものになる。私たちを深い意味で人間らしくしている要素の1つは、他人の効用を自分の効用関数に組み込む能力である。