バフェットの生い立ち
バフェットの人生で興味深いのは、子供の頃から独立心旺盛だったことだ。バフェットの個性と価値観が、彼自身の家族内での起業家的な伝統、特に母方の祖父母が所有していた印刷所と父親が設立した食料品店によって形成されたことは間違いない。祖父の食料品店での厳しい労働経験を通じて、自身が肉体労働から逃れられる生活を求めるようになり、独立心の強い祖父の存在が手本となって、起業家としての道を切り開くきっかけとなった。
バフェットは6歳の時から様々な事業を通じ自力で金を稼いでいた。他人に決して頼らず、自分が自分のボスになると考え、30歳までに百万長者になると誓い、実際4年も早くそれを実現した。
バフェットはコロンビア大学で経済学修士を取得した後、オマハに帰り、父親の投資会社で株式ブローカーとして働きながら、ネブラスカ大学オマハ校で投資のクラスを受け持った。1954年、24歳の時にベンジャミン・グレアムに採用された。グレアムはバフェットにアービトラージについて教えた。
1956年、バフェットはバフェット・パートナーシップ・リミテッドを設立。1957〜1961年まで、パートナーシップの利益は251%で、同じ期間でのダウ工業株価平均の上昇率75%を大幅に上回った。バフェットは投資ファンドを小規模に保つことで、効率的に運営を行い、集中力を持続できた。まさに成功する起業家の特徴である。このインセンティブの一致は、バフェットが投資先を探している時にどこを見ているかを教えてくれる。投資先企業の経営陣は事業のオーナーのように考え、行動しているのか、ということだ。
1966年までに、バフェットはパートナーシップの資金の25%を投じてバークシャー・ハサウェイを買収し、同社の会長となった。1969年、バフェットは自身のパートナーシップを解散し、その資産をすべてバークシャー・ハサウェイに移管した。その上で、パートナーたちには株式を与え、バークシャー・ハサウェイを他の企業や投資物件を買収するための持株会社として使うようになった。パートナーシップの価値は1億ドルとなっており、内2500万ドルがバフェットの持ち分だった。
バークシャーの投資の考え方
投資に対するバフェットの当初のアプローチは、グレアムに大きな影響を受けていた。その1つが「経営状態の悪い銘柄を圧倒的な安値で購入する」というものである。その後、チャーリー・マンガーと共に働き、フィリップ・フィッシャーの投資哲学を学ぶにつれて、「優良銘柄を適切な価格で買う」方がはるかに優れた長期投資戦略であると考えるようになった。
投資戦略という観点からの主なマンガーの貢献は、「スカトルバット手法」を確立したフィッシャーの考え方を信奉していた点にある。これは、企業を判断するに当たっては、単に財務諸表に頼るのではなく、消費者や競合他社、コンサルタント、経営者、以前の従業員や取引先などから定性的な情報を集めることがすべてである、という考え方だ。
1978年にマンガーがバークシャーの副会長に就任すると、バフェットは投資先候補の評価に定性的方法と定量的方法をどちらも用い始めた。つまりフィッシャーとグレアムのアプローチを組み合わせたのである。
フィッシャーのアプローチを支えるもう1つの柱は、投資家は自分がよく知っている領域内にとどまるべきだ、ということだ。バフェットが長年ハイテク企業への投資を避けてきた理由はこれである。バフェットは、コカ・コーラやジレットなど、ブランドに対する顧客の忠誠心とブランド認知度の高い、地味な企業への投資が正しい成果を生むと信じている。
フィッシャーは平凡な企業を多数抱えるのではなく、数少ない傑出した企業の株式を保有するよう投資家に助言した。バフェットも同じで、分散投資を重視する現代の風潮が過大評価されていると考えている。割安に見える銘柄があればそれに集中投資せよ、とバフェットは言う。
フィッシャーは、株を購入する時には株式市場全体の動きを無視するよう助言した。これはバークシャー・ハサウェイの基本原則となった。ある銘柄がその内在価値よりも割安な価格で取引されていると判断すれば、その銘柄を購入し、それを長期にわたって保有する準備をする、というのが主な戦略だ。このアプローチのポイントは単純明快だ。
- ビジネスの内容を理解できる
- 長期の見通しが明るい
- 正直で能力の高い人々に運営されている
- 非常に魅力的な価格で手に入る
この「理解できる」というのがバリュー投資の本質であり、投資リターンを生むための判断基準である。こうした判断を下すために、バフェットとマンガーは、投資する前に次の3つのポイントを考慮している。
- 会社の経営哲学を理解する
- 業界の文脈の中で企業を理解する
- 企業の持続可能な競争優位、または「堀(モート)」を理解する