ネガティブ思考は武器になる
ネガティブな思考は、クリエイティブにおいては武器になる。石橋を叩いて叩いて叩きまくって、正解を探り続けることはネガティブ人間にこそできるクリエイティブの追求である。ポジティブに安易な結論に飛びつくようなことができないからこその強さである。
クリエイティブな作業には「これで本当にいいのだろうか」「もっといい方法はないだろうか」と、ウジウジと考え続けるネガティブ思考が絶対に必要である。
常識人が面白いものを生み出す
世に言う面白いコンテンツをつくる人の多くは、映像や漫画など、どのジャンルでも、まじめな常識人であることが多い。それは、面白さとは、世間の常識や普通からいかにジャンプするか、その距離感が適切に測れないとつくれないものだからである。そのためには、自分自身が世間の常識や普通さ加減を感覚的にわかっていないといけない。普通の感覚を持っていることこそが、そこからいかに逸脱するかを計算するために必要な素質である。つまらない人の方が、面白いを客観的に見ることができる。
普段から面白い人は、既に日常の中で「面白いことをしたい欲」が解消されてしまっていることがある。お腹いっぱいの状態では食欲は生まれないように、面白いことをしたい欲求も満足させない方が良いかもしれない。ほどほどにクリエイティブな環境は、なにか創作したいという欲求を薄めてしまう怖さがある。
どんな仕事も「やりたくてやっている」状況に追い込む
どんな人でも、やりたくてやっていることと、やらされていることの間には大きな熱量の差がある。熱量の差、クオリティの差があるのであれば、自分がベストなものを提供するのがプロだという考え方もある。
その結果、はたから見ると「自分のやりたい仕事ばかりしていて楽しそうだな」と思われるかもしれないが、全力でやるためには「自分が好きでやっている」「仕事じゃなくてもつくりたい」くらいに思っていないと、気力も体力ももたないし、頑張りが続かない。やりたくてやっているのだから、人のせいにはできない、という状況に自分を追い込んでいく。
誰も登っていない山を登る
常に流行のコンテンツを追っているばかりでは、「こういうのがウケている」「流行りに乗っかろう」として、無意識に二番煎じの後追いコンテンツをつくってしまう気がする。せっかくつくるのであれば、何か目新しいものをつくりたい。
その目新しさのヒントは、トレンドを漁っても見つからない。みんなが集まっているところは一見正解に見えるが、そこへ行かないと間違いなんじゃないかと不安に駆られる元でもある。それなら、みんなが大挙して登っている山の最後尾に今から並んで登るよりも、まだ他の人が登っていない山を登る方が、新鮮で面白い景色が見えるかもしれない。
この「周りの人があまりインプットしていないものを摂取する」というのは、クリエイティブにおいては効果的で、しかも簡単にできるやり方である。あえてみんなとは違う山に登り、王道からの違和感やズレによって目立つことを目指してみるのは1つの手である。その方が見ている人の心に引っかかりやすくなる。
「見る力」を鍛える
優秀なつくり手の人たちは、1つのものを見た時に、そこから得られる情報量が普通の人よりも桁違いに多い。これは、他のところは全然見えていないくらいなのに「そんなところを、そこまで見ているの?」と思わせるような能力である。人によって見る角度や場所や深さが全く違い、それがその人の個性になっている。
「見る力」が弱いとディテールの細かい違いに気づけないので、結果として世界観のつくり込みが甘いものになってしまう。この「見る力」を鍛えるために効率的なのがデッサンである。自分の作家性やアイデアなどを入れる雑念もなく、ひたすら観察を続けることは、単純な画力の向上だけではなく、ものを見るとはどういうことかを体で理解する訓練になる。
これは企画においても同じである。あらゆる資料をしっかりと調べ、観察することなしには、ディテールがスカスカなものになってしまう。
ネガティブ思考がアイデアの種になる
「嫌い」というネガティブな気持ち、不快感や不満などの感情もアイデアの種になりやすい。普段の生活の中で、「なんか嫌な感じがするな」と思う気持ちになった時は、「なんでそう感じるのだろう?」という分析をするチャンスである。そういうネガティブな感情を呼び起こすところにこそ、創作の種が落ちている。
但し、気を付けるべきことは、不快感や不満を感じる対象を種として利用しながら、それを楽しいものに変えていくことである。そうすることで、見た人のネガティブな感情を面白さに変換する。