インフレが深刻化する可能性
2021年、インフレは数十年にわたる冬眠から目を覚ました。政策立案者たちは当初、新型コロナに端を発する世界的な供給不足の影響で物価上昇が起きているのは、主に中古車や半導体などのごく一部の分野だけだと思い込んでいた。それ以外の物価はまだ「落ち着いている」ように見えたため、インフレが加速し始めてもなお中央銀行家たちは金利の引き上げに踏み切れなかった。あちこちで物価の上昇圧力が高まり、労働市場は大部分が人員不足と賃金の急上昇に見舞われ、逼迫した。
インフレの再来は、世界経済の発展にとって一種の分水嶺と言える。この30年間の大半の時期を通じて、政策立案者と投資家はいずれも、デフレの危険性の方にずっと目を光らせていた。しかし、デフレだけが唯一の脅威ではない。インフレの深刻化を否定できない懸念点は次の通り。
①「よいデフレ」による利得が一転する
私たちが長年目撃してきた低インフレは、グローバル化の善良な影響の1つに過ぎなかったのではないか。安価な労働力を求めて資本が世界中を巡ると、先進国は一層安価な輸入品から潜在的な利益を得られる。すると、物価が賃金や利益に対して相対的に下がり、実質所得が押し上げられる。しかし、グローバル化が逆回転を始めれば、この「デフレ」による利得が一転して「インフレ」による損失へと変わってしまう恐れがある。
②ロックダウンの揺り戻しで需要が爆発的に伸びる
需要に供給が追いつかなければ、その結果としてインフレが生じるのは自然の成り行きである。
③金融政策が過剰に緩和されている
ロックダウンに伴う初期の経済活動の崩壊に対応するため、金融政策は、今が大恐慌時代の金融崩壊の瀬戸際だと言わんばかりに緩和された。金融引き締めの動きは鈍く、気づいた頃には、物価安定という点で手遅れになっていた。
④中央銀行による楽観的な思い込み
中央銀行は、短期的に何が起ころうと、自分たちの政策に対する人々の信用は揺るがず、インフレが暴走することはまずあり得ない、と思い込んでいたフシがある。これは深刻な歴史の読み違いではないか。ロシアのウクライナ侵攻にインフレの責任をなすりつけるのは事後的なご都合主義に過ぎない。
グローバル化経済の縮小でインフレ率が高まりやすくなった
すべての根底には、パンデミックよりも、ウクライナ侵攻よりも前まで遡る根深い問題があった。世界金融危機以降、それまでの超グローバル化時代が終わりを迎えつつあるという最初の兆しが現れ始める。最初に亀裂が入ったのは米中間だった。
新型コロナは、既に進んでいた分断のプロセスに弾みをつけた。それまで経済効率性の源泉とみなされていた世界規模のサプライチェーンが、今や国家の脆弱性の源泉とみなされるようになった。ロシアによるウクライナ侵攻もまた、同じような内省を促した。
こうした出来事の数々は、グローバル化への熱意を削ぎ、「国家の強靱化」へと新たな着目を促した。しかし、安全と安心の提供は代償を伴う。サプライチェーンは短縮し、ニアショアリングのプロセスは加速した。企業はじっくりと時間をかけて投資先を選定せざるを得なくなり、労働者は今までほど自由に国境を行き来しなくなった。要するに、世界の供給状況が悪化した結果、一定水準の需要に対し、インフレ率がかつてよりも高まりやすくなった。
インフレは勝ち組と負け組を生み出す
インフレは勝ち組と負け組を生み出す。負け組の人々は、幸運な勝ち組が上げた棚ぼた利益に怒りを募らせ、社会全体の信頼が急速に失われ始める。インフレはいわば、一部の人たちから資産をむしり取り、残りの人たちに分配する、気まぐれで不公平なメカニズムである。
特に打撃を被りやすいのは、限られた現金しか持たない人々、つまり貧困層や年金受給者たちだ。一方、政府、住宅購入者、一部の企業など、借入の多い人々や組織は最終的に勝ち組に回るかもしれない。借入コストは上昇するとしても、負債が増加中の所得と比べて相対的に目減りしていく可能性が高いからだ。
インフレは事実上、富に対する隠れた税金として作用し、政府財政にとっての救世主にもなりうる。しかし、こうしたインフレに乗じた略奪行為は、深刻な影響を及ぼす。人々が金融当局や財政当局への信頼を失い、ますます貨幣を手放そうとする恐れがある。すると、自国通貨の価値が下落し、輸入価格が上昇し、巡り巡って、今度は全般的な国内インフレが起きる。
インフレはなくならない
中央銀行家たちは、目先のインフレ率の上昇が一過性のものだと言わんばかりのインフレ予測を貫き、2、3年以内にはインフレ率が「目標値」に戻るだろうと予測した。
しかし、その結論は、歴史の重大な読み違いかもしれない。インフレは、時々冬眠することはあっても、決して死ぬことはない。刻一刻と変化する政治経済の情勢とインフレとの多面的な関係に呼び起こされるようにして、いつでもよみがえろうと身構えている。