文化資本の経営 これからの時代、企業と経営者が考えなければならないこと

発刊
2023年12月22日
ページ数
256ページ
読了目安
352分
推薦ポイント 16P
Amazonで購入する

Amazonで購入する

現在求められている経営のあり方
元資生堂会長の故・福原義春氏が、20年以上前に書いた経営のあり方。行き過ぎた資本主義によって問題となっている環境や社会問題に対する企業のあり方を問い直し、文化を起点に経営をすべきであると提唱しています。

20年以上を経て、ようやくESGとして重要視され始めた企業経営のあり方の先駆けとも言える考え方が書かれています。欧米とは異なる日本独自の文化をどのように活かして、経営をしていくべきなのか、日本企業のこれからのあり方の参考になります。

経済資本から文化資本へ

今、時代は「資金」や「財」といった物質的な経済資本だけの世界から、文化資本という新たな概念を取り入れるべき時に入っている。経営は経済資本の力だけで支えられてきたわけではなく、それぞれの企業が独自に培ってきた文化が、事業を成立・保持、発展させていく上で力を発揮してきた。この場合の文化とは、芸術表現や学術・思想に限定されるものではなく、感性や知を蓄積しながら常に生成・発展する生き方といった、広い意味での文化を意味する。

 

企業にとってこうした文化は、これまで企業風土や歴史的な蓄積としてのみ評価されてきたが、これを企業経営の上で生かすべき「資本」として考えてみてはどうか。資本とは、物質的な経済活動という面に限られるものではなく、人間にとっての魅力的な価値を外部に生み出していく総合活動だという面から捉えることが重要である。そうした資本本来の働きを広く解き放ってやることで、その活動を活性化させていくことを可能にするのが、文化資本経営である。

 

これからは、自然や社会から分離して限界にぶつかり停滞をはじめた経済を、逆に自然や社会との一体化の方向へと動かすことで引き上げていかなければならない。例えば、生活用品や住宅などについては、それを取り巻く生活空間、街並み空間、都市空間との非分離の状態をいかにデザインしていくか、ということになる。これらの設計を牽引することができる力こそ、文化資本である。

これまでの経済では、地域の歴史性や文化性の組み込まれた場所、つまり非分離の空間が無視され、全国的な画一市場という抽象的な場所で商品が売られてきた。しかし、今や地球規模のビジョンを持つと同時に、各地域それぞれの具体的な場所に基づいたビジョンを持つことが重要になっている。

 

文化はどんな場面で経済として成立するのか

文化は、社会関係の変更が起きた時に経済として成立する。文化資本の形成過程では、主に次の4つの資本の転換と生産が行われる。

  1. 歴史的な象徴資本を文化資本に転化して生産する文化的な再生産
  2. 蓄積されてきた経済資本を文化資本へ投下して生産する文化生産
  3. 文化資本を経済資本に転化して生産する想像生産
  4. 文化資本を象徴資本へ転化して生産する象徴生産

 

これからの文化経済の時代では、3の想像生産をいかに行なっていくかがポイントになる。この想像的な生産の場は、人々が実際に関係し合う社会的な場になる。それは文化と経済にはさまれた「社会」であり、商品を生産する企業と商品を消費する生活にはさまれた「社会」である。この「はさまれた」位置の本来あるべき姿の実現によって、両者をつないでいく。

 

利潤の獲得へと追い込まれている発想では、何はともあれ売れる商品づくりが前提となり、そこから物事を組み立てていくことになる。そこでは、社員が豊かなアイデアを生み出していくことのできる環境なり場を与える余裕がなくなり、広がりあるアイデアを生むには無駄なものが入ってくる。
本来の企業活動としては、逆に社員の創造力や自立性を保障できる場をまず前提としていくことである。そこでは、人間が育つとか、人間的な場がつくり出されるなど、商品以外にものをつくり出せる可能性があり、結果的に素晴らしい商品を産み出していくはずである。そこが資本の運営や経営で大事なところであり、企業文化や企業風土にも大きく関わってくる。

 

企業の文化的な役割は、より良い商品をつくることをもって、社会・文化に還元していくところにある。これからの企業は、文化資本を投入して商品をつくるべきであり、経済資本を高めて利益が上がったから文化に投資しようということでは本物の文化はつくれない。大切なことは、文化資本と経済資本の対立を文化資本優位の側に転換するような、そういう社会資本の経済的な領域をつくらなければならないことである。

 

述語的な世界を内部化していく

これからの非分離の空間づくりへ向かおうとする時代では、主語化されないもの、主語として対象から分離されないもの、つまり述語的な非分離の状態をしっかり捉えていくことが重要になってくる。

 

文化資本経営の真髄は「主語的な世界ではなく、述語的な世界を内部化していく」ところにある。日本語は歴史的に、主と客、自と他をはっきり分離させない、つまり述語的表現の色彩を強く持ってきた。これは近代のヨーロッパ的言語の主語的表現とは大きく異なる。

これからの文化生産では、主客分離の近代哲学から知識を創造することに代わって、主客非分離の哲学的な知識を創造する次元がますます求められる。

そして、日本語の独自性を記号と表象の面から考えていくことができれば、そこには言葉の問題も入ってくるし、デザインやロゴの問題も入ってくる。そこから、これまでの企業活動やデザインを総合的に見つめ直していくことができれば、文化資本経営にとっての新しい表象に大きな意味を持ってくる。