「流暢性」の魔力
頭の中で容易に処理できるものは、人に過信をもたらす。そうして生まれる過信のことを「流暢性効果」と呼ぶ。流暢性効果は、私たちに様々な錯覚を生じさせる。例えば、誰かが難なくやり遂げている姿を見ると、自分も労せずできるという錯覚が生まれやすい。
流暢性が錯覚をもたらす対象は、ダンスや歌、スピーチといったスキルだけにとどまらない。知識にまつわる部分にも影響を及ぼす。人は新たな知見を得た時に、それが見出された経緯を知ると、その知見が事実だと信じる気持ちが強くなる。人は基本的なメカニズムを思い描くことができると、相関関係に因果関係を見出そうとする傾向が強くなることが判明している。問題は、基本的なメカニズムに不備があれば、見出した因果関係も誤りである可能性が高いことである。
流暢性効果は、たちの悪い不合理な錯覚も招く。人は、これからやろうとする作業に流暢性を感じ取ると、それを実行した場合の難しさを過小評価する。さらに、判断する対象とは本質的には無関係な要素に流暢性を感じた場合でも、判断を歪められる恐れがある。
流暢性効果が生じる原因は、「メタ認知」と呼ばれる能力で使用される、シンプルで単純な法則にある。メタ認知は「何かを認知しているかどうかを認知する能力」を意味する。自分が何かについて知っているかどうかを知っているからこそ、避けるべきことや検索すべきこと、飛び込むべきかそうでないかがわかる。
メタ認知にとってとりわけ有益な判断材料となるのが「親近性」「やりやすさ」「流暢性」の感覚だ。人は、知っていることやできることには慣れ親しんだ感覚を持っている。親近性や流暢性は、自分が何を知っているかを手順通りに検証できない場面で、素早く判断を下すために用いられる。
但し、親近性による判断はヒューリスティック(経験則や直感による判断)に過ぎず、労力をかけずにそれなりの答えを見つける急場しのぎの手段でしかない。これは役に立つ場合がほとんどだが、混乱を招く恐れもある。
流暢性効果は認知システムにおける適応のメカニズムから生じるとはいえ、克服する術がないわけではない。単純に、実際に試した上で、流暢にいかないとの実感を得るのも1つの手だ。リハーサルが重要になるのは、スキルが身についたという錯覚に対してだけではない。人は自分が持つ知識の範囲についても、しょっちゅう過信する。実際に身につけている以上の知識があると思い込むのだ。その対策として、自分の知識を書き出すと過信が軽減されうる、と実証した研究がある。
残念ながら、実際に試したり、知識を言葉で表したりするだけでは過信が減らないケースも多々ある。そうした現状を理解する上で、考慮に入れなければならないのが「計画錯誤」だ。何かを完了させるのに必要となる時間と労力は、少なく見積もられることが多い。計画錯誤が生じる原因の1つが「希望的観測」だ。計画錯誤は過信の1種と言っても過言ではなく、流暢性による錯覚から生じる。
流暢性が原因で生じる過信を軽減させたいなら、頭でシュミレーションする時に、計画遂行の障害となり得るものを思い浮かべて流暢性に淀みを生じさせるといい。
「確証バイアス」で思い込む
確証バイアスとは、人が「自分が信じているものの裏付けを得ようとする」傾向のことを指す。確証バイアスにとらわれると、人は自分自身のことを誤って認識する恐れがある。簡単に自分を実際以上にすごいと思ったり、ダメだと思ったりしてしまう。これは、自分はうつだと信じ始めた途端に、うつ病患者のようにふるまいかねない。確証バイアスの作用は反対方向にも働く。自分の力を過信すれば、失敗は無視して成し遂げたことだけを選りすぐって思い浮かべて、結局は自分の能力を過小評価する時と同じようなまずい状況に陥りかねない。
こうした悪循環を生み出すことから、確証バイアスは最悪の認知バイアスである。一方で、確証バイアスによる適応力のおかげで、人間は生き延びてこられた。このバイアスによって、人は「認知能力の倹約」が可能になるのだ。認知のエネルギーは、差し迫って必要になった時のために保存しておく必要がある。
私たちの前に広がっている未来の可能性の数の多さを思えば、意思決定をする際は、ある程度満足したところで、それ以上の探求をやめる必要がある。私たちは確証バイアスのおかげで、無限の選択肢がある中で十分だと思えるものに出合ったら、探求をやめられる。それにより幸福度は高まるし、順応性も高くなる。
確証バイアスを克服したいのであれば、むしろ確証バイアスを利用すればいい。1つではなく2つの相容れない仮説を立てて、両方の実証を試みるのだ。裏付けを取ろうとすれば、どちらかの仮説が否定され、仮説を見直さざるを得なくなる。