ポジティブ思考の欠陥
現代の社会で幸福を探求するための手本とされている様々な自己啓発本は、我々を幸せにすることなど滅多にない。人間としての悩みや問題の解決を一冊の書籍サイズにコンパクトにまとめたい気持ちはわかる。だが、どの本の中身を開けても、多くの場合ありふれた常識的なことしか書かれていない。
我々は絶えず不安や心配、失敗、悲しみ、不幸などのネガティブな感情を排除しようとし、懸命に幸福を追求しようとするが、その努力はしばしば空回りし、自らを惨めにする結果に終わる。心理学者たちは逆に、それこそが幸福へ通じる新しい道筋「ネガティブな道筋」かもしれないと論じる。我々が日頃、何とか回避しようとする不安や心配などネガティブな心象や事象に対して、開き直って、正面から堂々と対峙し受容するスタンスを取るべきだとする。つまり、本当に幸せになるためには、できるだけ多くのネガティブな心情を経験するか、それらネガティブな心情から逃れようとしないことが必要だとした。
この「ネガティブ思考」の考え方は、古代ギリシアローマ時代のストア哲学の中に見出すことができる。ストア哲学では「物事が将来どこまで悪くなるのか」を常に重視し、そうすることによってもたらされるメリットを強調している。これはまた、仏教の核心に近い思想でもあり、真の安全というのは常に無限の不安な感情の中にあって、今も将来も決して堅固な地上に立つことはあり得ないとしている。
ネガティブ思考の根底に流れているのは「逆行の原理」である。あらゆることをうまく処理しようと努力すると、反対の結果が生じるというものだ。幸福を求めて色々努力しても思うようにいかない。ポジティブな気持ちで努力しても反対の結果に終わってしまう。こういった現象は、多くの研究者によって支持され、証明されてきた。
こう考えると、ポジティブ思考をはじめとして、ゴール(目標)のビジュアリゼーション(視覚化)や「やる気を出せ」運動など、自己啓発業界お気に入りの「幸福と成功を達成する技術」には大きな欠陥が含まれている。ポジティブに考えようと決意した人は、ネガティブな思考が入ってこないよう、絶え間なく心をモニターしていなければならない。これは、成功を実感するには他に方法がないからだが、問題はそうすることによって、注意の向け先がポジティブ思考からネガティブ思考に移ってしまうことが往々にしてあることだ。
また、ポジティブ思考の障害となるのは、この自己モニタリングだけではない。繰り返し唱えるだけで気分をポジティブに高揚させると言われている自己満悦的な「アファメーション」は、現実の自分と相容れない場合、最終的には自意識の一貫性を維持するために拒絶されることになる。その結果、自尊心はさらに低下する。
ネガティブに向き合える信念こそが幸福への道
ストア哲学者たちは、人間の「幸福への道」は自らのネガティブな性質によって決まると主張していた。自分自身の羞恥心や自意識、他の人たちの思惑などに対して直接堂々と向き合える強い信念を、暗黙のうちに育もうというものである。
ストア哲学では、人間の苦悩は周囲の物事そのものによって直接生じるのではなく、それに対する私たちの判断や信念によって生じるとし、自分の判断や信念をコントロールすることによって、様々な苦悩を取り除いたり、軽減したりすることができると考えた。
ストア哲学の教義は、理性を前面に押し出している。そもそも人間は論理的に考える能力を特別に賦与されている。従って、人間として相応しい人生を送るには理性に従った生き方をしなくてはならないという。ストア哲学者たちは、この考えに心理学的な捻りを加えて、「理性に従った有徳な生き方は平静不動の境地に通じるものだ」とした。
この平静不動の境地に到達するには、快楽を追い求める情熱を心から追い出し、代わりに周囲を冷静に観察する一種の冷淡さを育まねばならない。そのためには、ネガティブな感情や行動を避けるのではなく、正面から近づいて詳しく調べてみる必要があるとする。
そして、ストア哲学者たちは、将来に対する考え方として、最初から良い結果を期待するのは、幸福感を味わう上で決して賢明なやり方ではないと指摘する。物事が最終的に抜き差しならなくなった時に備える心構えが十分ではなく、より深刻な苦悩を経験することになるからだ。状況をより厳格に見つめ、理性的に判断するのがストア哲学である。
現実に起こり得る最悪のシナリオを前もって熟慮することは、最悪のシナリオと直接対決することに他ならない。それは、最悪のシナリオに付随する不安感の大半を吸収し弱らせることにもなる。ネガティブなビジュアリゼーションは、結局、頼りがいのある冷静な心をもたらすのである。