走りながら考える。正解を求めすぎない。
いくら走り方の本を読んでも、早く走れるようにはならない。先に情報を得て、正解がわかってから走り出そうとしていたら、いつまでたっても走り出すことはできない。とりあえず、走り出し、走りながら考えること。
走り出してみて、初めてわかることがある。結果、大失敗しても、その時点で方向転換すればいい。立ち止まって何もしないより、その方が確実に物事は前に進んでいく。
「何が勝ちか」をはっきりさせる。
自分の人生において、「勝ち」とは何か。どんな人生を送れば、自分が「勝った」ことになるのか。まずはそれをはっきりさせること。なぜなら、「勝ち」の条件がぼやけていると、人は何を手に入れても、満足することができなくなるからだ。
人生には、本当に様々な「勝ち」がある。だからこそ、いろんな人生の可能性を考えながら、「自分にとっての勝ちとは何か」を自分自身に問い続けること。
「憧れの罠」に注意する。
自分の短所ばかり見て、それを気にしすぎていないだろうか。「息を吸うようにやれること」こそが、その人の「才能」だ。なれないものになろうとするよりも、まずは自分自身の才能や、得意分野を見つけること。
憧れるなら、自分の得意なことを、高いレベルでやっている人がいい。「背伸びしたら届く」くらいの距離にいる人を参考にすることが、成長への近道である。
現状維持は停滞と同じ。
倒れることなく「現状維持」で生きていくために、誰もがペダルを漕ぎ続けている。頑張って漕いでいるのだから、今のままでいいと考えるのでは、成長は止まってしまう。漕ぐのは当然。漕いでいるだけで安心するのはやめて、そこから一歩抜け出すためにも、将来も安全に漕ぎ続けるためにも、変化や成長は必要不可欠だと意識すること。
「ちゃんとやれた」を積み重ねていく。
何かに挑戦しようとする時、どうしても自信が持てなくて「自分にできるのだろうか」と不安になる。そういう人は、その挑戦の「完璧な達成」を目標にせず、まず小分けにして考えてみるのがいい。目標を小分けにすると、途中で達成できなくなったとしても、細かく積み重ねてきた成功があるから、「実力がついている」とちゃんと実感できる。「ちゃんとやれた」という実感を積み重ねていくこと。
挑んで、負けて、また立ち上がる。
「勝つこと」だけを自信の源にしてしまうと、負けた時に挽回できなくなってしまう。それよりも「負けたけど、立ち上がれた」ということで、自信を得ていく方がいい。負けてしまっても、人生は続く。だからこそ、いくら落ち込んでも、立ち上がれる時が必ず来る。
そんな経験によって自信を積み重ねていくと、人はそれまでより、ずっと強く生きていける。挑んで、負けて、また立ち上げる。その繰り返しで、人の自己肯定感は磨かれていく。
競争から逃げない。
人と競争してみることで、自分の「等身大」を知ることが大切だ。何も勝つことだけを目標にして、競争に参加するわけではない。競争してみることではじめて、自分自身の能力や得意不得意が見えてくるものだ。
誰もが平等な能力を持って生まれてきているわけじゃない。競争は、そんなことも教えてくれる。そういうシビアな現実を、身をもって知っている人ほど、人に優しくできるものではないか。
危機感が安心を生み、安心感が危機を生む。
「危機感を持つことが安心を生む」「安心感を持ちすぎると危機を生む」。これらはどちらも真理だろう。大切なのは、危機感と安心感をバランスよく持つこと。うまくバランスをとるには、今、自分のどちらの感情が強いかを、常に意識しておくことが重要だ。
成功よし、失敗なおよし。
失敗は「いけないもの」ではない。失敗は、自分の弱さを教えてくれたり、新しい考え方を与えてくれたりするものだ。一方で成功は、喜びが大きい分、その感覚に酔いしれてしまって、何かを学び取ることが難しい場合も多い。長い目で見てみると、成功よりも失敗の方が、その人のその後の人生に、いい影響を与えてくれるのではないか。
挑戦するたびに、きっと失敗も重ねる。でも、その経験こそが、新しい成功へと導いてくれる。
力を尽くして、やるだけやったら、あとは自分のせいじゃない。
努力が結果につながらないことだって、ざらにある。だから、努力だけでは何ともできない領域があることを、まずは知っておくこと。
自分のベストを尽くすことだけに、集中すること。その方がシンプルな気持ちでいられるし、力を発揮しやすいはずだ。