ウルトラウォーター SATOYAMA CAPITALISM 2030

発刊
2024年10月15日
ページ数
332ページ
読了目安
392分
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推薦者

豊かな水の価値から里山資本主義を考える
日本の豊かな「水資源」をテーマに、各地の取材を重ね、改めて「里山資本主義」の考え方を問い直している一冊。

気候変動により、各地で異常気象による災害が起こる中で、どのような考え方で生きていくべきか、マネー資本主義から脱し、自然と共生しながら生きていくための考え方が書かれています。

水の価値に気づけ

紀伊半島の南の端、潮岬のすぐ近くに古座川がある。この川をしばらくさかのぼり、小川という支流をさらにいったところに「滝の拝」はある。普通に流れてきた川が、突然、滝になって落ちている。その先は、水が岩を掘ってできた大きな割れ目のような淵が何十メートルも続いている。水が落ちる場所のすぐ脇には古い祠があり、「沛太郎」なる神様の言い伝えが残っている。

 

そんな古座川が過疎化に悩んでいる。「働く場所がない。お金が稼げない、ないないづくし」と地元の人は口々に言う。しかし、ここには「日本のポテンシャル」がある。大多数の日本人はいつになったら気づくのだろうか。

古座水系の最上流は、手付かずの原生林からそのまま飲める水が流れている。そこには、大きなものだと2mにもなるオオサンショウウオが普通に生きている。こんな水を「ウルトラウォーター」と呼ぶ。「ゼロ円」で手に入る、圧倒的に高い透明の液体。この資源の価値に、正面から向き合えば、道はいくらでも拓けるはずだ。

 

人間としての幸せを目指せ

琵琶湖は、かつて水質汚濁が悪化の一途を辿り「瀕死の湖」と呼ばれた頃もあったが、次第に環境が回復。今や水質的にも、結構な範囲で飲めるほどきれいな水をたたえる。琵琶湖西岸では、東側以上に昔からの佇まいが残り、古来の漁が受け継がれている。天然うなぎをとる定置網漁、沖で回遊する琵琶湖固有種の琵琶鱒を狙うさし網漁。昔ながらの「とりすぎず、網に入った分だけ頂く。取りに行って戻るだけだから、石油などのエネルギー消費も最小限」だ。「手に入るマネーの額」とかいうことを超えた「里湖の価値」がわかっている。

 

ウルトラウォーターとは、水そのものの価値であり、そこに生きる命の価値であり、それを頂くことの価値。その意味や、かけがえのなさがわかることだ。

 

未来を見据えて掲げる生き方、とるべき態度の「基本のキ」は、お金を増やすことを目指すのではなく、人間としての幸せをまず目指し、後からお金がついてくればいいという態度。別についてこなくても、くよくよしないという態度だ。幸せや豊さのためといって強欲にマネー獲得に奔走し、醜悪な闘争の末、いつの間にかマネーだけが目的でマネーさえあれば満足という現代の「本末転倒」はやめるべきだ。

 

私たちのとるべき生き方とは何か

令和の現代、異次元の気候変動という現実が私たちを襲っている。従来のはるか上の「100年に一度」の気象現象がやってくる頻度は年々高まっている。

人類がこれまで通り生存していけるかどうか考える上で、重大な分かれ道とされる2030年を見据え、私たちのとるべき生き方とは何か。今、私たち1人1人は「2030年の難局」にどう望むべきか。どんな「精神」を持つべきか。ここで芸術家・岡本太郎が人生をかけて追い求めた「縄文」に注目したい。

 

第二次世界大戦の最中、パリと決別して日本に帰った太郎が、日本と日本人はどう生きていくべきか、何を大切にしていくべきか、考えに考え抜いた末につかんだ結論は「縄文にかえれ!」だった。

これは「マネー資本主義」一辺倒の世の中に疑問を持ち、「里山資本主義」という言葉に辿り着いたことと似ている。共に、ヨーロッパ・アメリカ起源の文明にNOを突きつけている。日本オリジナルに、日本や日本人自身の中に「解決策」を発見し、世界中、地球規模に敷衍させたい、という意味でも同じだ。

 

東北・奥入瀬にある岡本太郎が晩年につくりあげた巨大アート「森の神話」「河神」は、まさに生涯を賭けて縄文を取り戻せと訴えた太郎が、異次元の気候変動の猛威や、食料・エネルギーの高騰の時代を見透かしたかのように「これを見よ! よくよく考えて行動せよ!」と言っている。これはいわば「ウルトラウォーターアート」だ。

 

日本各地の世界農業遺産に認定された水辺は、大変な事態に苦しんでいる。2023年12月から1月、琵琶湖での鮎の稚魚・氷魚の漁は過去最悪だった。これは琵琶湖だけの問題ではない。気候変動は毎年来るものとの前提で、これから何をどうしていくべきか、自然の中で生きる魚や、なまず、スッポンやエビなどは、必死で生き抜こうとするだろう。おそらく、そんなに簡単に絶滅などしない。

問題は、人間たちの方にあるだろう。産地が様変わりするとか対応できないとか、できない理由ばかり並べて絶望する人たちが溢れるだろう。しかし、私たちに「気候変動は勘定に入れず」などという選択肢はない。毎年が非常モードだと開き直るしかない。

 

参考文献・紹介書籍