自信を持っても成功できるとは限らない
「自信さえあれば成功できる」という考え方には3つの問題がある。
- 自信を高めるのは簡単ではない。
- 意図的に自信を高めることができても、それで成功できるわけではない。
- 誰でも自信をつけて成功しなければならないような風潮がが生まれ、大きなプレッシャーになっている。
自信はあまりに過大評価されている。「できる気になる」ことと「実際にできる」ことを同じに扱っている。その結果、私たちの社会は、自信と自己顕示だけで中身の伴わない人間を量産することになってしまった。
ナルシシズムとは、自分を非現実的なほど高く評価し、根拠のない自信で溢れている状態だ。特にアメリカでは、ここ数十年の間にナルシシズムの度合いがどんどん高まっている。しかし、誰もが自分にばかり夢中になり、他人に関心を持たずにいると、利己的で孤立した人生を送ることになる。そして、理想が高くなるほど「自分はそうなれない」という現実に直面した時の失望も大きくなる。
「自信を持て」「自分を好きになれ」というメッセージばかりにさらされていると、自分の自信や能力に過大な期待を寄せてしまうようになる。「自信を持て」と言われるほど、自信が持てない時の気分の落ち込みは大きくなる。
「自信」と「実力」は別物だ。自信を高めたからといって、それだけで実力がつくわけではない。本当に必要なものは自信ではなく実力だ。数多くの研究では、自分に自信を持つと成功できるという世間の常識は間違っていると証明されている。
自信過剰は現実から目をそらす
自信過剰な人は自己防衛の傾向が強い。他人から受けたネガティブな評価と、自己評価が一致しない時、彼らは他人の評価を無視することを選ぶ。そして自分を納得させるために、自己評価をさらに引き上げる。この偽りの自信によって、実力以上の結果を予想する。つまり、逆境に立たされた時、無理に自信を高めることで逆境を乗り切ろうとする人は、現実が見えなくなるだけでなく、普段よりも能力が落ちてしまう。
高い自信に見合った実力のある人も確かに存在するが、実際のところ自信家の大半は、自分の実力を勘違いしている。一方で自信の低い人は、自分の実力が低いことをきちんと理解している。自分の限界、自分に足りない点を自覚し、現実の正しい姿を見ている。彼らはつらい現実から目をそらさない。
実力があることと、実力があると思うこととは違う。そのギャップを埋めるには、自分の実力を正しく評価するか、自信に見合った実力を手に入れるしかない。そして、自信家ほどギャップが大きくなり、自信が低いほどギャップが小さくなる。
自信を高める正しい方法
自信を高める正しい方法は、単純に実力をつけることだ。目に見える形で実力を高めるか、または他者からの評価を高めるしかない。実際に能力を高めれば、パフォーマンスが向上し、それにつれて他者からの評価も高まる。そして他者から評価されることで、自信が強固なものになる。
但し、あまり自己満足に陥らないよう注意が必要だ。自己の実力に満足し、自信過剰になると準備を怠るようになり、その結果として実力も下がり、頼りになるのは自信だけという状態になる。自己満足の罠にはまらないよう、欠点や弱点を克服し、長所をさらに強化するために、常に努力をしなければならない。
「自信がない」という価値
実力を高めるには、自信を低くすることだ。自身のなさは、努力するべき点を教えてくれるメッセージだ。自信がないという感情は大切にしなければならない。自信のなさは自分を正しく評価している証拠であり、自分を正しく評価できれば成長につながる。自分を知らなければ、特に欠点を正しく把握しなければ、絶対に成長はできない。
自信が低いと、現実的なリスク分析ができたり、もっと実力をつけようという動機付けになったりする。むしろ自信の低さは、将来の成功のために重要な役割を果たしてくれる。
自信が低い状態の時は、大抵失敗を予測する。自信がない人は不安になる。この不安な気持ちから生まれる「内なる声」も人間にとって大いに役に立つ。当然ながら、心配性の人は、命に関わるような事故を起こす確率が低い。
不安と恐怖から逃れるために感情を殺してしまうのがうつ病と言える。実際にうつ病と診断されるまでになるのは問題だが、ちょっとした気分の落ち込みや、悲観的な人生観には利点もある。元々うつ病の傾向がある人は、自分に厳しく、その結果として競争力が高くなるという。
自信の低さとは、一種のリスクマネジメント戦略だ。過去、現在、未来における自分の能力を正確に把握し、リスクに備えているのだ。自身の低さは、損失を最小限に抑えられるというアドバンテージになる。適度な悲観主義は、環境に適応して生き残る上で大きな力になる。