アマゾン
サッカー場10面ほどの広さがあるその巨大な倉庫は、イングランド中部スタッフォードシャーの片田舎にあった。その場所に漂うのは、刑務所について想像するのと同じ雰囲気だった。ほとんどの規則はこそ泥を防ぐためのものだった。出入り口には空港と同じような大型のセキュリティ・ゲートが設置されており、シフト終わり、休憩前、トイレに行く時には毎回そのゲートを通らなければならなかった。巨大な金属探知機を通り、ポケットの中身のチェックを受けるには10〜15分はかかったものの、その時間は無給だった。
ランチ休憩は、10時間半のシフトのちょうど中間あたりにやってくる。煩わしいセキュリティ・チェックを終えると、従業員の男女は大きな食堂へと流れ込み、巣穴から飛び出す羽アリの大群のように広がっていく。この仕事の良いところは、従業員用の食堂の食事が比較的安いという点と、何台も置かれた自動販売機から無料で紅茶やコーヒーを手に入れられることだった。ベイクドポテトかフライドポテト、ドリンク1缶、チョコレートバー付きで4ポンド10ペンス(約615円)。
問題は、休憩のために割り当てられた短い時間の中で、飲食をすべて済ませるということの方だった。ランチには30分の時間が割り当てられたものの、事実上、ゆっくりできるのはその半分の時間だけだった。食堂にたどり着き、飢えた労働者たちの群衆を押し分けて進み、食事を手にするまでに15分。残りの15分で食事を胃に流し込み、遠く離れた倉庫まで歩いて戻らなくてはならない。自分の持ち場に戻ると、決まって2、3人のイギリス人マネージャーが待ち構え、腕時計を指差すような仕草をして立っていた。30秒でも遅れたスタッフがいると、彼らは居丈高にわめき散らした。
倉庫では総勢1200人ほどが働いていた。大半は東欧から来た人々で、そのほとんどがルーマニア人だった。倉庫は4つのフロアに分かれ、従業員も同じように4つの大きなグループに分かれて働いていた。運ばれてきた商品を受け取って確認し、開封するグループ。商品を棚に補充するグループ。2メートルの高さの棚から商品を取り出し、トートと呼ばれる黄色いプラスチックの箱に入れるグループ。トートは台車で運ばれ、長いベルトコンベアの上に置かれて、流れていた。平均すると、従業員1人で1日に40個ほどのトートに本やDVDなどの様々な商品を詰め、コンベアに置いた。
従業員は、すべての動きを追跡できるハンドヘルド端末の携帯を義務付けられた。そして、十数人の従業員ごとに1人いるライン・マネージャーが倉庫内のどこかにあるデスクに座り、コンピューターの画面に様々な指示を打ち込んだ。これらの指示の多くはスピードアップを促すもので、携帯する端末にリアルタイムに送られてきた。それぞれのピッカーは、商品を棚から集めてトートに入れる速さによって、最上位から最下位までランク付けされた。
平均的なピッカーは、午前の間ずっと倉庫内の薄暗い通路を行ったり来たりしてトートを運び続けると、およそ29ポンド(約4,350円)の収入を得ることができる。一方、アマゾンのCEOであるジェフ・ベゾスは、670億ドル(約6兆5000億円)の総資産を有していた。アマゾンで全員を「アソシエイト」と呼ぶことは、みんなが1つの幸せな大家族であるという錯覚を生み出すために仕組まれた策略のように思われた。勤務初日、スーパーバイザーは「ジェフ・ベゾスもアソシエイトであり、あなた方もみんながアソシエイトです」と明るい声で言った。しかし、アソシエイトはどんな時にも、ジェフ・ベゾスのような人々よりも下等な人間として扱われた。
アマゾンでピッカーから正社員になるというのは、誰もが羨む「ブルーバッジ」を手に入れるということを意味した。しかし、複数の同僚たちは、アマゾンはただブルーバッジをちらつかせて、通常なら受け入れがたいようなことを労働者に強いているだけだと語った。