黒子の流儀 DeNA 不格好経営の舞台裏

発刊
2015年4月12日
ページ数
270ページ
読了目安
311分
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DeNAの経営の舞台裏
DeNA会長が、銀行員時代を経て、創業間もないDeNAに入社して、経営を行ってきたことが書かれた本。ビッターズからモバオクの立ち上げ、そして上場し、プロ野球に参入するまでの話が書かれています。

DeNAとの出会い

住友銀行にいて、転職しようと考えた事はなかったが、住友銀行とさくら銀行の合併によって気持ちは揺らいでいく事になる。自分が彼らの社風に合いにくいのではないかと感じた。

1999年は東証マザーズが設立された年でもあった。若い人達を中心として起業熱が上がってきており、その勢いに関心を持っていた。その世界に入っていく事で何か楽しい事ができるのではないかという感触を抱いていた。

1999年も暮れに近づいてきた頃、南場さん達が立ち上げたDeNAがビッターズというオークションサービスをスタートさせたという記事が目に入ってきた。DeNAのサイトを見て、気持ちが大きく高ぶった。一度話を聞いてみたいと思い、サイトに載っていた「社員募集」という欄からメールを送ったら、すぐに電話がかかってきた。「ぜひ一度来て下さい」と言われた。

 

年俸600万円で

当時は会社設立から1年も経っておらず、オフィスもまだ狭かった。しかもサービス開始の直後だったせいか、机と机の間の床には寝袋に包まって仮眠をとっている人達がいた。設立されたばかりのDeNAには、自分のような経歴の人間がおらず、ちょうど人材を探していたところだという。とりあえず話を聞きに来ただけだったが「ところで、給料はどこまで落とせますか?」と聞かれた。その頃は、年収1000万円弱のお金をもらっており、月給50万円くらい欲しいと口に出してしまうと「わかりました!それでは年俸600万円で」と給料の額が決まってしまった。

 

その後も何度かDeNAを訪れてじっくりと考えていく内に、気持ちは固まっていった。転職する決心がついた。その時は結婚間際であったが、まだ30歳で独身だったし、何とかなるだろうと思っていた。事実、転職といっても人生の大きな決断をしたという感慨もなかった。うまくいけば、それはそれでよし。うまくいかなくても、金融に戻ればいい。何とでもなるし、何とかするという自負があった、それよりも、面白そうなものに携わりたいという気持ちが強かった。

 

社員番号は18番

DeNAに正式に入社したのは2000年になってからだった。社員番号は18番。現社長である守安をはじめ、6人のメンバーが日本オラクルから転職してきていた。それでも20人にも満たない会社だった。

 

いざ仕事に取りかかると、休む暇もないほど忙しい日々が待ち受けていた。会社の経理体制を整えるために、やらなくてはならない事がたくさんあった。将来的には上場をし、市場での資金調達によってM&Aもしていきたいという事だったので、肩書きは公開準備室長になった。ところが、DeNAには上場審査のために必要な社内規定さえも存在せず、すべて1からつくらなくてはならなかった。その上、売上はほとんどないし、本当に上場できるのかと思う程の状況だった。

 

試行錯誤

オークションをビジネスにするというのは、想像以上に難しさが付きまとう。運営側が儲けを出すには、大量の売り手と買い手に参加してもらわなくてはならない。さらには、オークションは物販と違って締め切り時間が決まっており、時間切れになって物が競り落とされないと、1円の儲けも生じない。

 

オークションからの収入が増えないのには、いくつかの理由があった。一般ユーザーからの出品ができなかった事に代表されるシステム的な課題があった。また、ヤフオクの存在も課題だった。当時、ヤフオクには無料で出品をする事ができた。そこで相当な工夫と決断が求められた。そこで、ヤフオクが有料化するのに合わせて、無料化し、出品店舗数と出品点数が一気に跳ね上がった。これが黒字化に向けての第一歩になった。

参考文献・紹介書籍