幸福とは何か
幸福とは、快楽とやりがいが持続する事である。幸せな人は、ネガティブな感情よりもポジティブな感情を多く抱いている。快楽の様々な感情をより頻繁により強く感じていれば、より幸せでいられる。そして、もう1つ大きな影響を与えるのがやりがいがあるという感情だ。
本当に幸せになるには、快楽とやりがいの両方を感じていなければならない。その組み合わせ方はいろいろで、時々で求める度合いも異なるが、その両方を感じる必要がある。
自分自身の幸福が快楽とやりがいの間をどう行き来するかは、自分が決める事だ。しかし、最終的に重要なのは自分が何らかの感情を抱く頻度とその感情の強さだ。自分にとって最適な快楽とやりがいのバランスが取れている時、最も幸福だと言える。
注意が幸福をもたらす
幸福を追求するには、今まさに追い求めているものは何なのか、何を達成しようとしているのかを明確にする必要がある。幸福とは快楽とやりがいが持続する事である。
幸福をもたらすのは、金銭や結婚、セックス、その他いろいろな直接的なインプットではない。それぞれのインプットに向ける注意である。
注意の配分を誤ると幸福になれない
人間は注意の配分を誤りがちである。人間が注意の配分を誤るのは意識的なミスと無意識的なしくじりによるもので、そのせいで最大限幸せになれない。幸せになる事を邪魔する注意の障害物には「誤った願望」「誤った予測」「誤った思い込み」がある。
自分の選択がもたらす結果ではなく、目の前の事に注意を向けてしまっていると、幸せをもたらさない選択をしてしまう。そして、信念と行動が矛盾していたり、自分自身に非常に高い期待をかけていたりすれば、そもそも自分自身を受け入れる事すらできなければ、簡単に不幸に陥ってしまう。
幸福を誰よりも正確に評価できるのは自分自身である
突き詰めれば、とても大きな快楽とやりがいをできるだけ長く経験していられるような、時間の使い方を追究すればいい。過ぎ去った時間を取り戻せないように、失った幸福も取り戻せない。つまらない仕事や厄介な恋愛関係にとどまっているのは不幸を引き延ばしにしているだけで、たとえその後幸せになったとしても、この損失を完全に埋め合わせる事などできない。失った幸福は永遠に失われたままなのだ。
ある行為を行う価値があるかどうかは、快楽とやりがいの経験によって決まる。そこには、まだ起きていない出来事において予想される良い感情と悪い感情、および過去の経験における良い記憶と悪い記憶も含まれる。長期的な快楽とやりがいに注目すれば、ある決断が実質的な意味で合理的かどうか、それが幸福度にもたらした総合的な影響によって判断できる。重要なのは、未来の快楽として前夜の記憶が参照されるかもしれないという事だ。どうすれば幸せになれるかを考える時、過去の記憶が現在の幸福につながっているという事を頭に置いておくべきだ。幸福には、良い経験をしたという記憶も含まれる。現在の幸福と未来のだ。
幸福にしてくれるものに注意を払う
幸福を長期的に見た快楽とやりがいの量と捉えた場合、幸福の製造プロセスは時間の使い方に関係しているとわかる。収入や健康状態といったインプットを取り入れ、時間を様々な活動に振り分ける事で、これらのインプットを幸福に変換する。だが、時間は何かをやる事だけに使われるのではない。実際のところ時間の大部分は、取り組んでいる事とほとんど関係のない刺激に注意が向けられている。
つまり、幸福の製造プロセスとは、あなたの注意を割り振る作業のこと。幸福を生み出すためのインプットは、あなたの注意を奪い合う非常に多くの刺激だ。これらの刺激は、その刺激に向けた注意によって幸福に変わる。
幸福になるための鍵は、自分を幸福にしてくれるものに多くの注意を払い、そうでないものにはそれほど注意を向けない事だ。注意が刺激を幸福に変え、私達の行動の原動力となる。多くの場合、私達は注意が幸福や行動に及ぼす影響に気付いていない。
幸福のフィードバックを観察する
誤った願望、誤った予測、誤った思い込みを減らし、自分に最大の快楽ややりがいをもたらすものが何かを判断するために有効な方法は、何が快楽ややりがいをもたらすのかについての直接的な「フィードバック」に注意を向け、その情報を未来の幸福について予想する際に活用する事だ。
実際の経験は、自分の願望や予測、思い込みよりも信頼できるものである。何があなたに幸福をもたらすかを知ってしまえば、それ以降は幸福のフィードバックを観察しなくても良くなる。