ヒトの最大寿命は約115歳か
戦後、日本人の寿命は延びているにもかかわらず、最長の寿命はあまり変化していない。2020年に100歳以上の日本人は8万人を突破し、毎年急速に増え続けているが、115歳を超えた日本人はこれまで11名しかいない。
現代人の死に方は「老化」の過程で死ぬ。老化は細胞レベルで起こる不可逆的な「生理現象」で、細胞の機能が徐々に低下し、分裂しなくなり、やがて死に至る。細胞の機能の低下や異常は、がんをはじめ様々な病気を引き起こし、表面上はこれらの病気により死ぬ場合が多いが、大元の原因は免疫細胞の老化による免疫力の低下や、組織の細胞の機能不全によるものである。
細胞が分裂を繰り返すとゲノムに変異が蓄積し、がん化リスクが上がる。これを避けるため、免疫機構や老化の仕組みを獲得して、細胞の入れ替えが可能になった。これで若い時のがん化はかなり抑えられるが、それでも55歳くらいが限界で、その年齢くらいからゲノムの傷の蓄積量が限界値を超え始める。異常な細胞の発生数が急増し、それを抑える機能を超え始める。そこからは病気との闘いとなる。進化で獲得した想定(55歳)をはるかに超えて、ヒトは長生きになった。
老化のメカニズムはすべて解明されたわけではないが、テロメアの短縮が起こりにくい幹細胞は、DNAに傷がつくことで老化が促され、結果として個体を死に導いているようである。老化が死を引き起こすというのは、生き物の中でも特にヒトに特徴的だが「進化が生き物を作った」とすれば、老化もまた、ヒトが長い歴史の中で「生きるために獲得してきたもの」と言える。
生き物が死ななければいけない2つの理由
①食料や生活空間などの不足
天敵が少ない、つまり「食われない」環境で生きている生物でも、逆に数が増えすぎて「食えなくなる」ことはある。この場合、絶滅するくらいの勢いで個体数の減少が起こり、その後、周期的に増えたり減ったりを繰り返すか、あるいは少子化が進み、個体数としては少ない状態で安定し、やがてバランスが取れていく。
②多様性のため
生物は、激しく変化する環境の中で存在し続けられる「もの」として、誕生し進化してきた。その生き残りの仕組みは、「変化と選択」である。多様性を確保するように、プログラムされた「もの」であるためである。この性質のおかげで、現在の私たちも含めた多種多様な生物にたどり着いた。
遺伝情報が激しく変化し、多様な「試作品」をつくる戦略である。変わりゆく環境下で生きられる個体や種が必ずいて、それらのおかげで「生命の連続性」が途絶えることなく繋がってきた。そのたくさんの「試作品を作る」ために最も重要となるのは、材料の確保と多様性を生み出す仕組みである。遺伝子の変化が多様性を生み出し、その多様性があるからこそ、死や絶滅によって生物は進化してこられた。
死は生命の連続性を支える原動力
生き物にとって死とは、進化、つまり「変化」と「選択」を実現するためにある。「死ぬ」ことで生物は誕生し、進化し、生き残ってくることができた。
化学反応で何か物質ができたとして、そこで反応が止まったら、単なる塊である。それが壊れてまた同じようなものを作り、さらに同じことを繰り返すことで多様さが生まれていく。やがて自ら複製が可能な塊ができるようになり、その中でより効率良く複製できるものが主流となり、その延長線上に「生物」がいる。生き物が生まれるのは偶然だが、死ぬのは必然である。壊れないと次ができない。
つまり、死は生命の連続性を維持する原動力である。「死」は絶対的な悪の存在ではなく、全生物にとって必要なものである。生きている間に子孫を残したか否かは関係ない。生物の長い歴史を振り返れば、子を残さずに一生を終えた生物も数えきれないほど存在する。地球全体で見れば、全ての生物は、ターンオーバーし、生と死が繰り返されて進化し続けている。生まれてきた以上、私たちは次の世代のために死ななければならない。
ヒトは感情の生き物である。死は悲しいし、できればその恐怖から逃れたいと思うのは当然である。この恐怖から逃れる方法はない。この恐怖は、ヒトが「共感力」を身につけ、集団を大切にし、他者との繋がりにより生き残ってきた証である。
ヒトによって「死」の恐怖は、「共感」で繋がり、常に幸福感を与えてくれたヒトと絆を喪失する恐怖である。また、自分自身ではなく、共感で繋がったヒトが亡くなった場合も同じである。その悲しみを癒す、別の何かがその喪失感を埋めるまで、悲しみは続く。