不治の病
ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、MND(運動ニューロン障害)の専門的な名称である。ALSはMNDの一種だが、ダントツで症例数の多い病気だ。MNDは決まって珍しい病気だと説明される。だが、疫学統計を深掘りすれば、私たちが人生のどこかでMNDを発症する確率は1/300であることがわかる。
MNDの発症後1年以内に30%が死に、2年以内に50%が死に、5年以内に90%が死ぬ。どうしてそんなことがあり得るのか?
実のところ、MNDが「必ず死に至る」という言説は必ずしも事実ではない。MND患者でその圧倒的な数を占めるALS患者は、餓死(食物を飲み込めなくなるため)もしくは窒息死(呼吸ができなくなるため)で命を落としている。
MNDになっても消化管は問題なく機能し続ける。従って、胃に直接チューブで栄養を送り込むことで、容易に命をつなぐことができるはずだ。これは極めて一般的な措置に過ぎない。また、肺を膨らませる筋肉が衰えるだけで肺そのものは機能しているのだから、ポンプで空気を送り込んでやれば呼吸の問題も解決される。
ということは、MND患者が命を落とす原因は、健康上の問題というよりも、技術的な問題になるということになる。しかるべきテクノロジーを用いて適切にケアすれば、MNDによって死に至るようには見えなかった。
これほど多くの人々が、短期間の内に亡くなっているのは、ほとんどのMND患者が、生き延びるためにテクノロジーに頼ろうとしないとしか思えない。生き続けたくないという理由はわかる気がする。生命維持装置を使って、生き長らえたとしても、やがて体の自由はきかなくなる。動かせるのは眼球だけだ。そこから見えるものと言えば、往々にして退屈な病院の天井ばかり。
とは言え、ハイテクの発展によって状況は大きく変わった。最新の技術に目を向ければ、スティーヴン・ホーキング博士でさえローテクに見えるほどだ。本当のところは、MNDと共に生きようと思えば、うまくいく確率の方が高いのだ。
テクノロジーでMNDと共に繁栄する計画
まず「MNDと共に繁栄する」というビジョンをなるべく短い文章で、かつ説得力をもって伝わるようなメールを書き上げた。それから『ザ・タイムズ・マガジン』編集部に連絡し、2018年4月にコラムが掲載された。
MND患者の選択的手術に挑むという機会を目にしている。これまで、MND患者には選択の余地も希望もなかった。しかし、トリプルオストミー(胃に栄養を送り込むチューブ、人工の肛門や膀胱を設ける手術のこと)という選択肢がある。
さらに、MNDの問題は、簡単には解決できないからこそ、AIとのコラボレーションを実証するにはうってつけだ。現実世界と物理的に接触するための手段は、すべてロボットに置き換えられていく。脳の一部と、外的人格のすべては電子に置き換わる。元の脳の大部分に、人工頭脳による拡張機能をたくさん追加。体そのものは、眼球を例外として、単に脳を動かすためだけに存在することになる。
「合成ボイス」「アバター」「VR」を組み合わせる。だが、すべてを目玉の動きでコントロールしようとするのは無理がある。脳とコンピュータを直接つなぐインターフェースが発達すれば、もっと早く指示を出すことも可能だが、それが実現するのは10年以上も先になるだろう。今のところは、視線認識が一番手っ取り早い。ホーキング博士は頬の筋肉を動かして意思伝達していたが、そっちはもっと遅い。
会話だけでなく、もっと色々なことを同時にコントロールできるかどうか。1つ考えているのは、オリジナルの脳がAIに大して使おうとしているのと同じ手を使うことだ。ものすごく賢いAIなら、意識のレベルで高次の命令を出しただけで、以後は、無意識にその命令を最後まで実行することができるだろう。
MNDの本当の問題
MNDを「生き延びる」のがフルタイムの労働になるとは思ってもみなかった。そうなってしまう主な原因は、病気そのものの過酷さではなく、病気に対する周囲の態度にある。それが、MNDの最悪なところだ。一部の医療従事者やチャリティー団体、政府、世間、友人や家族、そして何より診断を受けた本人が、MNDを「世界で一番怖い病気」と考えていること自体が問題なのだ。
MNDの患者は、MNDに対する思い込みのせいで死にかけている。生き延びるための方法が存在しないからではない。死ぬのは当たり前だ、あるいは死んだ方がマシだという考え方が定着しているせいで、死に瀕しているのだ。
敗北主義的な態度は医療の現場にしぶとく残っている。多くのチャリティー団体は、変わらず「恐怖のMND」というイメージを打ち出そうとしている。そうすれば、治療法を実現させるために、より多額の寄付金を集められると考えているのかもしれない。
しかし、問題の大部分は、MNDを抱えた人々自身の態度に起因している。告知を受けた後で様々な情報を読んだり聞いたりした結果、悲観的な考えに囚われる患者や家族が多い。こうした態度は患者の心を蝕む。患者が生命維持治療を受け入れるのに決まったステップなどはない。ただ自らをよく律し、運命に立ち向かおうとする毅然とした態度が必要なだけだ。