ぷしゅ よなよなエールがお世話になります

発刊
2016年4月8日
ページ数
288ページ
読了目安
293分
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よなよなエールはなぜヒット商品になったのか
クラフトビールの先駆けともなった「よなよなエール」の物語。赤字続きだった会社が、どのようにして増収増益の成長企業へと変貌したのか。そのマーケティングやマネジメントについて紹介されている一冊。

理念を大切にする

『よなよなエール』を代表商品とするヤッホーブルーイングは、元々は今で言うクラフトビールのメーカーを目指していた。開業の理由も、星野リゾートの代表・星野佳路が、アメリカ留学時にマイクロブルワリーのビールを飲んでおいしさに魅了され、「日本にもこんな個性溢れる味わい深いビールを紹介したい」と考えたのがきっかけ。醸造所こそ軽井沢だが、観光客向けだけに販売するつもりではなく、日本に新しいビールを根付かせたい、という意気込みだった。

 

ファンは100人に1人でいい

星野は現状をフォローしようという気はさらさらなかった。新たに市場に加わった人間が、既にできあがっている「市場のルール」に縛られ、今のルールの中で戦っても勝てるはずがない。有名メーカーのビールの隣に、多少値段が高いけど、ネーミングも缶のデザインも、こだわりを感じさせるビールがあったとする。「どんな味がするのかな」と冒険したくなり、6本買うついでに、1本くらい買いたくならないか。しかも飲むと明らかに味と香りが違う。すると何人かに1人は、こだわりのビールをわざわざ探して「これだ」と言ってくれる。

 

地ビールバブルの崩壊

「よなよなエール」は順調すぎるほどの滑り出しを見せた。発売当初「こんなに売れるのか」と圧倒され、同時に「製品が足りません」とお詫びする仕事に忙殺された。当時は、小規模ばビールメーカーが「地ビール」と呼ばれるようになった。その言葉には「観光地でしか飲めない」という付加価値、プレミアム感、非日常感がくっついていた。90年代後半、「地ビール」は大流行した。そのブームに乗って、まるで押し流されるように売上を伸ばした。

自分達の使命は町おこしではなく、アメリカ同様に個性的でおいしいクラフトビールを広めていく事だった。そのための戦略は、観光需要の開拓ではなく、リピーターの獲得だった。ところが、リピートしてくれる人が少なかった。「長野に来たついでに飲んでいる」のであって「クラフトビールが飲みたい」という人は少なかった。「地ビール」ブームは、数年で終焉を迎え、2000年頃には売上が頭打ちになった。打開策としてテレビCMなども打ったが流れは変わらず、迷走を始めた。

 

個性を守ることが鉄則

地ビールブームが収束すると、小規模メーカーの多くは撤退するか「個性的な味のビールは売れない」と製品の変更を余儀なくされた。しかし、ヤッホーブルーイングは大切なものは変えなかった。「アメリカで人気があるエールビールが日本でも受け入れられないはずがない」と考え、むしろ「目指す理想の味」を完成させようとした。

転機が訪れたのは、2004年の夏を迎える前の事だった。棚の書類を次々に整理したり、捨てたりしていた時に手紙が出てきた。「一緒にインターネットで世界を目指しましょう。三木谷浩史」と書いてある。楽天は1997年にオープンしていて、三木谷さん自身が、星野に「店を出しませんか」という営業に来ていたという。その7年前の手紙だった。当時、楽天に出したお店は開店休業状態だった。

ネット通販では、お客様にわざわざ「ヤッホーブルーイングのビールが飲みたい」と検索してもらわなければ、ホームページを見てもらえない。だから「検索して頂く工夫」と「リピートを獲得するための工夫」が必要である。

その最大のものは自分達の「個性」を知って興味を持ってもらうこと、ファンになってもらう事である。ホームページやメルマガを使えば、思いや考え方、温もりまで感じてもらう事ができる。大手企業のように「世の中の多くの方達と薄く広く交わる」のでなく「一部の方と濃く交わる」事が必要である。だからこそ、自分達の個性を出す事が鉄則である。

その後、メルマガを書きまくった。ビールのうんちく、醸造設備のことなど「自分が書きたいこと」「自分にしか書けないこと」を書いた。そして、個性的な味を理解し、愛してくれる人が少しずつ増えていった。