人類は絶滅を逃れられるのか―――知の最前線が解き明かす「明日の世界」

発刊
2016年11月26日
ページ数
176ページ
読了目安
130分
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人類の未来は繁栄か、滅亡か
これから人類は繁栄するのか、滅亡するのか。4人の世界的な科学者、哲学者たちが、人類の進歩について討論した内容をまとめた一冊。

人類は種として進歩しているのか

多くの専門家は、現在の世界の混乱を見て、法治主義的な秩序と経済発展が少しずつ失われていった、第二次世界大戦前の50年間にそっくりだと言う。他方、現在起きている国家からNGO等の非国家アクターへのパワー拡散は、新たな平和と繁栄の時代の予兆だと言う専門家もいる。
「第二次」技術革命を歓迎する人たちは、未来の生活水準は大幅に向上し、個人と集団がコラボレーションする領域が新たに生まれ、地球環境は一段と改善されて緑が増えると考えている。これに対して批判派は、新しいテクノロジーは社会的な格差や経済格差を一段と大きくし、市民のプライバシーを侵害する力を国家に与えると主張する。また、テクノロジーのせいで、人間はその存続に必要な勤勉性や自己犠牲の精神を失ってしまうと警告する。

どんな問題や論題であれ、私たちは「コップにはまだ水が半分残っている」と考えるか「あと半分しかない」と考えるかのどちらかである。つまり未来の生活や社会、さらには人類の行く末について、私たちは楽観論者か悲観論者のどちらかに分かれる。

進歩は新たなリスクを生む(マルコム・グラッドウェル)

テクノロジーをはじめ様々な領域が進歩すると、そのマイナスの側面と破壊的な性質も飛躍的に進歩する。だからある領域で大きな飛躍があるたびに、例えば人類が自らを破滅させる能力も飛躍的に高まる。未来が今より良くなるか悪くなるかはわからない。人類の99.9%の暮らしは昔より良くなったかもしれないが、残りの0.1%によって、恐ろしく惨めな状況に突き落とされる可能性がある。

どんなに進歩しても「満足」は得られない(アラン・ド・ボトン)

科学は私たちを驚嘆させ、大きな変化を約束してくれる。にもかかわらず、厄介な問題のために、私たちは充足感や適度な幸福感を得られない。経済発展の悲劇の1つは、人は物質的に満たされれば、幸せになれるという信念に基づいていたことである。しかし、どんなに金持ちになっても、金銭的な不満はなくならない。自分を他人と比べるのは社会的な病であり、世界を億万長者だらけにしても、経済的な不運、不幸、悲嘆から解放されることはない。

私たちは、理想の地に到達することは決してできない。なぜなら人間には脳があるからである。人間の脳は不完全で、失敗をする。攻撃的で、やるべきことを忘れ、役に立たない衝動をたくさん持っている。人間は不完全な特に悪い衝動と自己中心的な性質を補うために、文明を作った。しかし文明を持ってしても、人間は自己に内在する欠陥を全て取り除くことはできない。

極貧人口は世界人口の10%まで減った(マット・リドレー)

人間の生活水準は、この50年で著しく上昇してきた。今や極貧人口は世界全体の10%に過ぎない。総合的に見て、人々は昔よりも豊かになり、健康になり、ハッピーになり、賢くなり、清潔になり、ある意味でより自由になり、もっと平和で、もっと平等になっている。貧困国の人々が豊かになるスピードは、富裕国の人々が豊かになるスピードを上回っているので、世界は平等になりつつある。

現在、人間が世界をよりよくする可能性は、50年前よりも高くなっている。科学技術を研究する人の数と、彼らが自由に使えるテクノロジーの量、そして彼らが得てきた知識の量を考えると、人類は50年前よりも問題解決能力が高まったと考えるべきである。

あらゆるデータで世界は改善されている(スティーブン・ピンカー)

データを見れば、私たちの暮らしを測る指標はすべて上向いている。寿命は伸び、病気にかかることは減り、より金持ちになり、民主主義国に住む人の割合は高まった。平和な場所で暮らしている人が増えて、人々はより賢く、教育水準も高まった。このような状況を生み出したプロセスは、ほぼ間違いなくこれからも続く。

参考文献・紹介書籍