あなたの人生の意味――先人に学ぶ「惜しまれる生き方」

発刊
2017年1月24日
ページ数
480ページ
読了目安
864分
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人生の意味とは何か?
「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニストが、現代人が忘れている内的成熟の価値と「生きる意味」を根源から問い直した一冊。ビル・ゲイツが年間ベストブックに選んでいる。

2種類の美徳

人間の美徳には大きく分けて2つの種類がある。1つは履歴書向きの美徳、もう1つは追悼文向きの美徳。前者は、就職戦線において自分を有利にしてくれ、他人から見てわかりやすい成功へと導いてくれるような能力。後者は、葬式の時、集まった人たちの思い出の中で語られる美徳だ。それは人間の核として存在しているものに違いない。大半の人は、明らかに、自分の根本的な人格を磨くことよりも、職業的な成功を目指す生き方を選んでいる。

創世記の天地創造の物語には2つの側面があり、それ故に、私たち人間の本性にも2つの対立する側面がある。「アダムⅠ」は、私たちの中のキャリア志向で、野心的な面。アダムⅠは何かを創り、築き上げること、新たな何かを発見することを望む。そして高い地位と勝利を求める。「アダムⅡ」は心の内に何らかの道徳的資質を持とうとする。内なる自分を晴れやかで曇りのないものにしたい、善き行いをするだけでなく、善き存在であることも求める。アダムⅡは他人に深い愛を注ぐこと、他人への奉仕のために自己を犠牲にすることを欲する。

アダムⅡの論理はアダムⅠの反対だ。それは道徳の論理であり、経済の論理ではない。

外向けの成功が求められる現代社会

アダムⅠの成功、つまり職業的な成功のためには、自分の強みを育てるのが良い。アダムⅡの成功、つまり道徳的な成功のためには、自分の弱みと対峙することが不可欠だ。私たちは今、アダムⅠつまり外側のアダムばかりが優先され、アダムⅡが忘れがちな社会に生きている。現代社会では、職業的な成功について考えることは奨励されても、内面の充実を図ることは置き去りにされがちだ。成功を収め、称賛を得るための競争はあまりに熾烈なため、私たちはそれで消耗し尽くされてしまう。

アダムⅠだけの場合、人生の意味、自分は何のために生きているか、ということはまともには考えない。せっかく技能を磨いても、それを何に使うべきなのかがわからない。自分のアダムⅡの面に常に厳しい目を向けていなければ、私たちは簡単に自己満足に陥り、道徳的に難のある人間になってしまう。

現代社会の大きな間違いは「アダムⅠ」さえ成功すれば、人間は心から満足できると多くの人が信じていることだ。実際にはそんなことはない。アダムⅠの欲望は無限である。絶えず「もっと欲しい」と思い続ける。アダムⅡを成長させない限り、本当の満足を得ることはできない。

過去の道徳的規範を取り戻せ

この何十年かの間、私たちは誰の中にも素晴らしい「本当の私」がいるという信念に基づいた道徳体系を作り上げてきた。自分を愛すること、また自分を強めることを促されながら、誰もが育つ。自分の表面的な部分、アダムⅠの部分だけに焦点を当て、内面の世界、アダムⅡの世界は無視して生きるように促される。この失われたバランスを取り戻すには、アダムⅡを再発見するには、私たちが置き去りにしてしまったものを蘇らせる必要がある。過去の人々が従っていた規範を一部、復活させるのだ。道徳に関する現実主義的な考え方、「人間は曲がった材木であり、真っ直ぐに矯正しなくてはならない」といった聖書の考え方を復活させるべきかもしれない。そうすることで、例えば「私は何を目標に生きていけばいいのか」といった問いに答えられるようにするのだ。

人生の意味

私たちは皆、「失敗する人」である。だが、人生の意味は失敗の中にある。人生の美もそこにある。失敗することで何かを学び、年を追うごとに成長する、そこにこそ意義がある。謙虚になれば、自分を知ることができる。自分が失敗してしまったと気付けば、自分に重大な欠点があると気づけば、それを克服するための努力を始めることができる。欠点の数だけ私たちは闘うことになり、その闘いこそが生きる意味を与えてくれる。また闘いを通じて私たちはより良い人間になれる。一人で闘わなくてもいい。私たちは互いに助け合って闘うことができる。そして同時に、他人の欠点を赦すことも大切だ。他者と互いに助け合う人生、互いに感謝し合う人生には喜びがある。