本当の勇気は「弱さ」を認めること

発刊
2013年8月20日
ページ数
269ページ
読了目安
309分
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自分の弱さを認めることで人間関係はうまくいく
人とのつながりを断たれることへの不安こそ「恥」の正体である。そして、他人と比較して自分にナルシズムを感じる原因は「恥」にある。つまり、不安の裏返しに、自分を優位に見せようとする心理が働いている。しかし、それは結局、人とのつながりを壊していく。必要なことは「恥」から回復する力。

TEDで人気の著者が、「恥」を乗り越えるための方法を説きます。

ナルシズムの原因は「恥」

「あの人たち」を非難して「自分はましだ」と思わせてくれる論理には、私たちは気をよくするものだ。ナルシズムが話題になる時、たいてい軽蔑や怒り、批判などが込められている。

 

ナルシズムはその大小にかかわらず恥に根ざしている。ヴァルネラビリティ(もろさや傷つく可能性のある状態)というレンズを通してナルシズムを見つめると、恥に根っこを持つ、平凡である事への不安が見えてくる。本当の自分は「注目され、愛され、居場所を持ち、目的意識を培えるほど、特別な人間ではない」という不安である。人は皆、平凡である事への不安には弱いし、自分のしている事には意味があると信じたい。だが、それは時として特別でありたいという欲求と区別がつかなくなる。尊大な態度や特権意識、称賛への欲求は、結局のところ痛みを悪化させ、人とのつながりを壊していく。

 

欠乏感の正体

欠乏感は「足る事を知らない」という問題だ。安全、愛、金銭、資源などを自分はどれだけ持っているか、他人はどれだけ持っているかを勘定する事に、膨大な時間が費やされる。この絶え間ない査定や比較は、私たちを自滅させる。私たちは往々にして自分の人生を、メディアが作り上げた到底手の届かないような完璧なイメージと比較したりするからだ。欠乏感は、比較が隅々まで根をおろし、関わる意欲が失われてバラバラになった、恥を感じやすい文化の中ではどんどん膨張していく。

 

欠乏感に対抗できるのは、豊かさではない。「足る事を知らない」欠乏感の対極にあるのは、充足感であり「偽りのない心」なのだ。

偽りのない生き方とは、自己肯定感に立って人生に深く関わる事である。勇気と思いやり、人とのつながりをはぐくみ、朝目覚めた時に「何を成し遂げたか、どれだけやり残した事があるかに関係なく、私はこれで良い」と思う事ができ、夜眠りにつく時に「私は完璧ではないし、弱みがあり、時には不安にもなる。それでも私に勇気がある事や愛され、居場所を持つに値する事に変わりはない」と思える事である。

偽りのない心の中心には、ヴァルネラビリティと自己肯定感がある。確実なものがなく、脆さをさらし、感情的リスクを負いながらも、私はこれで良いと思える事である。

 

傷つく可能性と向き合う

ヴァルネラビリティを拒絶したくなるのは、不安・恥・悲しみ・失望などの暗い感情を連想するからだ。しかし、愛や帰属意識、喜び、共感、創造性は傷つく可能性からこそ生まれる。例えば、誰かを愛する時、私たちは心をさらけだすが、それは傷つく可能性を伴う。人生の大切な感情的側面を取り戻し、情熱と目的意識を燃え立たせたいなら、傷つく可能性と向き合う必要がある。

 

人はヴァルネラビリティから釈放される事はない。生きるとは、傷つく可能性があるという事なのだ。勇気ある挑戦をするには、傷つく可能性を受け入れなければならない。だが恥に怯え、人にどう思われるか気に病んでいては、生身はさらせない。

自分の価値を他人の評価に委ねた時、恥は人生をのっとり支配するようになる。「有能であれ、完璧であれ、人を喜ばせよ」という呪縛から逃れられなくなる。だが、恥とは何かを知り、恥から立ち直るスキルを身につけたら、シナリオは大きく変わる。

 

恥からの回復力をつける

私たちは人とのつながりや愛、居場所を求めるように生まれついている。人とのつながりは、愛や帰属意識と共に、私たちが存在する理由であり、人生に目的と意味を与えるものである。

 

恥とは、つながりが断たれる事への不安である。「私は愛されるに値しない」「どこにも居場所がない」という感情だ。人間は恥を感じる時、つながりを断ち切られたように感じ、必死で自己肯定感を取り戻そうとする。恥や恥への不安で心が傷つくと、自滅的な行動に走り、攻撃的になり、他人をも恥に引きずり込もうとしてしまうのである。

 

私たちは、恥から回復する力をつける必要がある。恥の体験を誰かに共感してもらえたら、恥はもはや無力だ。恥から回復するには4つの要素がある。

①恥に気付き、恥のスイッチを理解する
②冷静に分析する
③恥を受け入れる
④誰かに恥を話す