インターネットによるラジオの衰退
2000年代、ラジオという文化は若者の中では廃れてしまっていて、リスナーは絶滅危惧種ぐらいに減っていた。長引く不況で企業がメディアに出稿する広告費は縮小し、一時期、オールナイトニッポンの協賛スポンサーも数社まで落ち込む時期があった。
ラジオ衰退の原因として、切実だったのは「ハード面」の問題だった。ニッポン放送のAM電波を送出する電波塔は、千葉県の木更津市に設置されているが、都内や埼玉方面では、高層ビルにブロックされたり、急増する様々な電子機器から発せられるノイズなどの影響で電波が入りにくい状況になっていた。
同時に業界全体で共通する大きな問題として、そもそも「ラジオを聴く」という生活文化の衰退があった。80年代頃、ラジオは、ラジカセやコンポの中の機能として搭載されたことで、「中高生が自室で楽しむ」メディアへと進化していった。ところが、2001年にiPodが販売開始され、若者とラジオの接点はほぼなくなってしまった。
決定的だったのが、「インターネットの台頭」である。1990年代に若者カルチャーを担っていたテレビ、ラジオ、雑誌などは、2000年代には完全にインターネットに塗り替えられた。特にサブカルチャーやアンダーグラウンドな雰囲気というラジオ的なものは、2007年に立ち上がった「ニコニコ動画」によって、飲み込まれていった。
radikoとSNSによるラジオ文化のアップデート
ラジオ業界にとって大きなターニングポイントとなったのは、2010年のラジオ番組を配信するプラットフォーム「radiko」の誕生だった。ラジオ受信機を誰も持っていない時代を飛び越え、アプリさえ入れてくれれば「1人1台」ラジオ受信機を持つ時代が誕生した。「その時間帯に聴かないと体験できない」が大前提だった生放送が、「放送後でもいつでも聴ける」というコンテンツになったのは劇的な変化だった。
ラジオの作り手が見る「数字」も一変した。ラジコの再生回数という形で、数字をデイリーでいつでも見たい時に見られるようになったのは画期的な変化だった。生放送の数字だけでなく、放送後にどれくらい聴かれたのか、時間帯、年代などの数字が可視化され、分析のスピードと精度が格段に上がった。
生放送を聴いたリスナーが番組のハッシュタグをつけてリアクションをTwitterに投稿することで、「反響の可視化と拡散」も生まれることになった。トレンド上位に上がった番組の話題は、そのままネットニュースに取り上げられ、さらに多くの人の耳に届く。ラジコは、ライトリスナーの拡張につながった。長らくラジオの弱点と言われてきた「アーカイブ性」と「反響の可視化」が、ラジオの登場によって実現した。
深く狭く熱狂を作り出す
これまでニッポン放送主催のイベントと言えば、番組とご縁のある旬のアーティストにお声がけして、できるだけメジャーな豪華ラインナップを揃えて大きな会場でオムニバス形式のライブイベントを企画する形式が一般的だった。それが、テレビ局やラジオ局が企画するライブイベントの王道だった。
この常識を覆す新たな「型」が誕生した。「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」の1周年を記念して企画された初めての番組イベントだった。会場は横浜アリーナ。企画の内容は、番組を毎回聴いてくれるヘビーリスナーに向けた「超内輪」の内容に振り切っていた。
当日、横浜アリーナには超満員の8000人が集結。集まった人たちは、番組そのものを深く楽しむために来ている。圧倒的な熱量の高さで、リスナーの一体感があった。長らくラジオはマスコミだと言われ、「広く浅く」を目指すものだと考えていた。1億2000万人に届いてこそラジオとしての成功だと。
しかし、本当は1億2000万人に届けなくても、番組を通じてつながる8000人に深く届けることができれば、熱量は何百倍にもなるのではないか。「狭く深く」に振り切ることによって生まれる熱量の高さこそ、これからのラジオの活路かもしれないと気付かされた。
生放送の価値
ポッドキャストなどの登場で音声コンテンツ全盛時代とも言える今、オールナイトニッポンの価値とは、やはり生放送ならではのドキドキ感、そして、その時間にリアルタイムで立ち会うリスナーの皆さんと共につくる一体感である。
ラジコのタイムフリー機能によって、番組は「いつでも聴ける」コンテンツになった。ただ、その初出の瞬間を一緒に体験したいというリスナー心理に応えるのが生放送である。
オールナイトニッポンの放送内容のメインはトークだからこそ「ここでしか聴けない話」が詰まっていて、放送後に話題になる。結果、放送から何時間も経ってからタイムフリーで聴きに来るリスナーが多いのである。