完璧主義とは
成功者たちは完璧主義のおかげで、その成功を手にしたと考えている。実際に今の社会では、仕事の成功やお金を稼ぐこと、ステータスを手に入れること、「いい暮らし」をすることなど、私たちが良しとすることの多くが完璧主義の強力な原動力になっている。一方で、自分以外の誰もが何の苦労もなく完璧さを手にしているように見えるため、私たちは自分に不満を抱き、「欠けている」という意識の中でもがき、完璧さを求めて奮闘する。
完璧主義の特性は、不完全であるという思考だ。私は不完全なので、自分の不完全さを周囲の人々から隠さなければならないという信念に基づいた現代特有の世界観である。その信念には様々な側面がある。
①自己志向型
自分は完璧であるべきで、完璧以外の何ものでもあってはならない、という意識に基づいた行動をとる。この特徴は「まだ不十分だ」という感覚を引き起こす激しい競争心である。ところが、この激しい競争心は、ある種のパラドックスを生む。強い自己志向型の完璧主義者は、失敗や他者の承認を失うことを恐れて、競争からしり込みする傾向がある。成功しなければという気持ちと失敗したらどうしようという恐れの板挟みになってしまう。
②社会規定型
他者が自分に完璧さを求めているという信念に基づいた行動をとる。社会規定型の完璧主義者は、常に周りからの審判を受けているという幻想にとらわれている。その結果、いつも他者の基準に従って期待を裏切らないように努める。社会規定型の完璧主義者は、生活の中にとてつもないプレッシャーを生み出す。他人の顔色をうかがい、懸命に完璧な人間になろうとしながら日々生きている。
③他者志向型
他者が完璧でなくてはいけないという信念に基づいた行動をとる。これは、友人、家族、同僚など、他者に完璧さを要求するもので、そのターゲットは、一般人にも向けられる。この場合、自分があらゆる物事の基準だという思いが強いほど、相手もその基準を満たすべきだと考える。彼らが、他者に到達不可能な基準を課すのは、自分の想像上の欠点を埋め合わせるためであり、自分から注意をそらす無意識の手段となっている。
完璧主義がもたらす影響
自己志向型は、自己肯定感や幸福感などのポジティブ要素との相関関係があるが、うつ病や不安感、絶望感などのネガティブ要素との相関関係も同様に見られる。自己志向型の完璧主義がもたらす悪影響は近年はっきり裏付けられている。他者志向型の場合、極度の執念深さや称賛への過剰な欲求、他者への敵対心と関連しており、利他の精神の低さやコンプライアンス意識の低さなどとも関連性がある。他者志向型は、親しい人との関係にも悪影響が及びやすい。
そして、何より懸念されるのは、社会規定型だ。社会規定型のレベルが高い人は、強い孤独感、将来への不安、他者への承認欲求、人間関係の質の低さ、他者に自分の欠点を知られることの恐れ、常に自己肯定感が低いといった傾向があり、精神的な苦痛も抱えやすい。
完璧主義者は敗北を受け入れたら周りからどう見られるか、という恐れに心を占領されている。だからこそ完璧への執着だけでなく、あらゆる心の病の症状を引き起こす危険因子になりうる。
現代の文化が完璧主義を生み出す
自己志向型と他者志向型は徐々に増えている。一方で、社会規定型は指数関数的に急激に増えている。2050年までには、社会規定型は、自己志向型に代わって完璧主義のメインの指標となるだろう。社会規定型の急増が物語っているのは、私たちの社会に重大な誤りがあることに他ならない。つまり社会が期待するものが、大多数の人の能力を超えているのだ。
「成長こそすべて」の経済の中で生きる無数の人々は貪欲な消費者だ。私たちはモノを買い続ける生活スタイルを通して、個性を表現することを求められている。この消費文化を完成させたのがソーシャルメディアだ。ユーザーが自ら輝かしい虚像をつくり、別のユーザーに見せて不満のオーラを生む。毎日、20億を超える人々が、SNSにログインし、互いに比べ合い、「自分は欠けている」という感覚が生み出される。
労働倫理、競争、個人の主体性といったものもサプライサイド経済が依存している信念体系だ。私たちは、上層か下層にいるかは、懸命な努力をしたから、あるいは努力が足りなかったからだと判断する文化の中で生きている。こうした功績主義と呼ばれる仕組みのもとでは、常に自分を証明することが求められる。
しかし、多くの人は階段ピラミッドの頂点に近づくにつれて落ちこぼれていき、心に計り知れないダメージを与える。社会規定型の完璧主義は、この功績主義がもたらす不安の象徴と言える。評価や試験、選別、ランクづけは続き、彼らは絶えず他者と比べられる。こうした文化では、トップ以外は何者でもないという狭い視野で自分の価値を測ることにつながる。