癒し手のリーダーへ
リーダーシップには、「執行者としてのリーダー」と「癒し手としてのリーダー」という2つのモデルが存在している。執行者としてのリーダーは、利益と株主への還元を最大化することを目標とし、理性的で戦略的な思考ばかりを優先する。彼らは大抵、感情や身体をもった自己から切り離され、そのため他者の話を傾聴したり、他者を受け入れたりといったことはしない。複雑さを増す時代、こうした時代遅れのスタイルに固執し続ければ、目的に相応しくないリーダーが輩出され、私たちの社会の長期的な健全性が脅かされてしまう。
今日のリーダーは、論理や理屈を組み立て、優れた判断や戦略的な予測をする高い能力を備えているだけでなく、他者に共感するために、感情や感覚に意識を向ける必要があり、地に足のついた判断を下すために、物事を直感的に捉える必要もある。
傾聴とマインドフルネスのスキルを身につけ、自己と他者の存在を意識し、高いレベルの見識とイノベーションを受け入れなければならない。確かな人間関係を築き、他者と協力して、心からの奉仕の精神、使命感、目的意識を明確に持たなければならない。
存在モードと行動モード
私たち人間には、2つの基本的なモードがある。
- 存在モード:感情や感覚を持った自己を受け入れることから生まれる状態。
- 行動モード:理性的で分析的で、戦略的な思考から生まれる行動
2つのモードは、それぞれ独特な性質と能力を持ち、しかも互いに強く補い合っている。理想の世界では、私たちは存在モードと行動モードをバランスよく両立させ、それぞれのモードは、私たちの認識や行動の過程に同じくらい影響を与える。
現在、多くの企業文化は「存在モード」よりも「行動モード」に支配されている。理性的で分析的な思考を重視しすぎるあまり、感情、感覚、直感、自己を超越した精神世界といったものが軽んじられている。これまでのほとんどのリーダーや組織は、存在モードよりも行動モードに支配されていた。
私たちは、行動や実行ばかりを繰り返し、「存在」の重要性を見過ごし、ないがしろにしてしまうことが多い。行動モードを重視しすぎるあまり、感情や感覚を持った自己から切り離され、それによって、仕事に必要とされる知性や内的リソースの少なくとも半分しか使っていない。自分自身や他者を、さらには組織の仕事というものを感覚的に理解し、うまく対応することができなくなっている。
自己の内面を転換する
マインドフルネスを実践して、論理や理屈と感情や感覚とを上手に結びつける方法を身につけると、私たちは自分のアイデンティティを自己の周縁部から内面化し、自分の中に深い中心軸のような部分から行動するようになる。意識の中心をどこに置くかを見直し、意識を広げることで、すべてが統合された全体へと意識が向かうようになる。「思考する私」から「思考と感情を持った私」へとアイデンティティが転換する。この転換が大きな変化をもたらす。
理性的な思考に支配されると、私たちは前へと向かう軌道に沿って進みがちになる。この方向の勢いが強くなればなるほど、私たちの意識は自分自身の上へ、外へと向かい、身体から切り離された周縁部へと向かっていく。
それに対して、存在モードを前面に押し出すようになると、私たちの意識は身体の奥へと落ちていくかのように、下へと向かっていく。すると、感情や感覚を持った自分を強く感じるようになり、自己にしっかり根ざした感覚が生まれる。するとはるかに鋭い感覚で、覚醒した状態で世界と向き合うことができるようになる。
癒し手のリーダーは、存在モードと行動モードとの間の断絶を修復し、2つのモードを再び結びつけて統合することで、分裂と分断による葛藤を解消する。まず自分自身の中で、続いて自分がリーダーとして率いる人々の間でそれを行う。そうしたプロセスを通じて、私たちは内面的にも対外的にも、深いレベルの結合と調和を実現する。理性、身体、心をすべて行動に反映させることで、問題や困難、チャンスに対して高度な対応が取れるようになる。
両モードの橋渡しをすると、私たちは最適なパフォーマンスを発揮するようになる。すべての行動が、存在モードの内的リソースから生まれるようになるからだ。すると、認識と感情、理性と直感という二項対立がなくなり、2つのモードは互いに補い合い連携して、高度なレベルで機能するようになる。
存在モードと行動モードを統合し、その状態を安定させるためには、トレーニングが必要だ。注意力を意識的かつ意図的に働かせることを学ぶと、存在モードに立ち戻るきっかけとなる。注意を払うという行為そのものによって、私たちは自然に、無理なく、自分自身の深い中心部へと立ち戻り、右脳を再び目覚めさせ、バランスを取り戻すことができる。