UUUMの創業期
2013年6月、原宿の6畳一間で会社を立ち上げたものの、仕事はなく、ほぼ「ニート」みたいな状態だった。光通信から社員を3人も連れて来てしまい、給料と賞与を払っていた。ある時、会社の預金残高は40万円を切っていた。
「どうにかビジネスをつくらなきゃいけない」という思いだったので、毎週、友達の梅田裕真さんに事業プランを説明して、アイデアの壁打ちをしていた。
運命が決定づけられたのは、HIKAKINとの出会いだった。光通信時代、携帯電話の販売を任され、接客コンテストを開催した時のパフォーマーとして、HIKAKINに来てもらっていた。そこで初めて「ユーチューバー」という存在を認識した。その後、HIKAKINと2013年に再会し、色々なことを聞いた。
梅田さんとの打ち合わせの時に「ユーチューバーって言われる人たちがいるの知ってる? 彼らに関するビジネスってよくない?」と語ると、「めちゃくちゃいいね! なんかわかんないけど、いいよ!」と言ってくれた。しかも、「何か手伝えることないかな。出資するよ」とまで言ってくれた。
仕事はすべて「人」
そこからは、当時の仲間と一緒にユーチューブを見る毎日になった。「ここに出てる人らと、いつか絶対、仕事したいよな」ということを言っていた。とりあえず、ユーチューブで活躍しているクリエイターの中から「チャンネル登録者数の多い順」に声をかけていった。
クリエイターに会う時には、3時間以上、彼らのユーチューブを見てから会う。すると、自然と興味が湧いてくる。その状態になってから会うことが大事だった。
仕事はすべて「人」である。家でアイデアを練っているだけでもダメで、外に出て人と会わないと、ビジネスは生まれない。そのチャンスを最大限に生かすには「準備する」だけである。会う前から好きになるくらいの準備である。ユーチューバー巡礼の旅で、HIKAKIN、ジェットさん、Kazuさん、ABTVnetworkさん、めぐみさんと初期メンバーが揃った。
試行錯誤でビジネスモデルをつくる
当時やりたかったのは「売るものを持ってきて、ユーチューバーに動画で紹介してもらう」というようなビジネスモデルだった。ネット上にテレビショッピングのような仕組みを作ろうと思った。
まず、やってみて学んでいく。結論から言うと、ビジネスモデルとしては成立しなかった。動画を見てモノを買ってくれる人は、直接そっちのサイトから買ってしまう。やってみてわかったことは、「思ったよりもモノが売れない」ということだった。会社を作って3ヶ月後にこれはビジネスにならないと結論を出した。
その間にも、クリエイターへの仕事は少しずつもらっていた。但し、当時は企業がなかなかお金を出してくれなかったので、自分でクリエイターにお金を払って仕事をしてもらい、効果が出たら、その企業にギャラを払ってもらっていた。
自分で仕事をとってこようとするが、なかなかうまくいかなかった。企業が広告費を使う時は、大手の代理店を通す。一方で、ユーチューバーには代理店からの仕事がたくさん来ていた。ユーチューバーはそこに困っていた。彼らは企業とのやりとりも大変だし、自分で「ギャラはいくらです」と値付けもしづらい。そこで、少しずつそちらをサポートしている内に、ふと思った。
「みんながもらう仕事を一緒になって捌く方が可能性があるんじゃないか?」
ユーチューバーのマネジメント業務をしよう。しかし、クリエイターのマネジメント業務は、一体何をやればいいのか。本当に探り探りだった。クリエイターを尊重して「僕らはどんなお手伝いができますか?」ということを教えてもらうスタンスだった。自分たちができることを片っぱしから考えていった。
名前のない仕事
ほんの数十年前にはなかったインフルエンサーやユーチューバーは、そもそも「名前のない仕事」だった。UUUMを創業して「クリエイターたちを支えてきた仕事」も元は、名前のない仕事だった。
仕事は「職業」や「職種」などでは、簡単に一括りにできない部分、つまり「名前のない仕事」によって構成されている。世の中、専門家が評価されやすい傾向があり、何でも屋は軽く見られがちである。「地味な仕事をしている」と思っている人の中には、成長の実感が湧かないことで悩んでいる人も多いかもしれないが、それでも1日1日を特別に生きることはできる。
スケジュールを見て「楽勝だ」と思うことが続くと、それに疑問を感じること。それはやることの決まった「名前のある仕事」だからである。
UUUMの商品は「人」である。決してIT企業ではない。一貫して突き詰めたスキルは「極めて人間的で、とことんアナログなこと」だった。クリエイティブが求められるのは、最後の数%のみ。クリエイティブ以前の「基本的なこと」こそが、仕事では大事である。