ユニクロ

発刊
2024年4月4日
ページ数
496ページ
読了目安
642分
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ユニクロの成功物語
山口県の宇部にある商店街の小さな紳士服店の2代目として働き始めた柳井氏が、ユニクロというコンセプトを創造し、成功と失敗を繰り返しながら、世界的なアパレル企業にまでたどり着く物語。

なぜ田舎の商店街の紳士服店が大成功することができたのか。柳井正という経営者の思考や、これまでの行動の足跡が描かれており、事業を成功させるためには何が必要だったのかを知ることができます。

大成功の裏にも、数々の失敗や困難があったことが書かれており、読みものとしての面白さだけではなく、起業や経営にとっても参考となる内容になっています。

家業のメンズショップへの出戻り

柳井正が東京でのプータロー生活を切り上げて生まれ故郷の宇部に戻ってきたのは1972年のことだ。高度経済成長期が最後の盛り上げりを迎えていたこの年、柳井が幼少期を過ごした銀天街は往時と変わらない賑わいを見せていた。

家業のメンズショップ小郡商事の実態は変わっていなかった。店は当時と同じ2店舗。紳士服とVANというブランドを中心にマクレガーやラコステなど男性向けのカジュアルウェアを扱っていた。このことが後に柳井にとって大きな意味を持つようになる。ユニクロという柳井自身が「金の鉱脈」と呼んだアイデアの誕生へとつながっていった。

 

2つの洋服店の店頭に立ちながら、若き柳井正はすぐに疑問を抱くようになった。この商売で、俺はこれからずっと生きていかなければならない。でも、本当にこれでいいのか・・・。そう考え始めた時、幼い頃からずっと眺めてきた小郡商事の商売のアラが見過ごせなくなってきた。この当時の小郡商事は年商がざっと1億円。かろうじて赤字ではなかったものの、利益はいつもカツカツといった状態だった。

 

もがき続けた10年間

柳井の周囲には相談できる人もいない。その代わりに柳井は自宅に帰ると自分自身と向き合うことにした。酒を飲まない柳井は自宅に帰ってから机の前で悶々と考え、自分自身の性格についてノートに書き記していった。そして「できないことはしない」「できることを優先順位をつけてやる」というシンプルな思考法に辿り着いた。

ノートに記したのは自己分析だけではなく、仕事の内容を正確に伝えるためのマニュアル、日々の商売の「見える化」に及んだ。こんな地道な作業を進めていると、小郡商事の業績は少しずつ持ち直し、地元で店舗数を広げていった。

 

小郡商事の店には何が足りないのか。どこかに縮小均衡を打ち破るヒントはないものか。柳井の模索が続いた。黙考するだけではなく、出口につながる何かを求めるように飛び回った。言うまでもなく宇部の商店街はアパレル業界の中心地とは遠く離れている。東京にいれば当たり前のように入ってくるような情報も皆無だった。そんな圧倒的な弱点を柳井は痛感していたからこそ、自分の足で補おうとした。この情熱がユニクロ誕生の原点となった。

 

ユニクロのヒント

自分には何ができるか。そう考えた時に見えてきたのが、父の代から扱っていたVANのようなカジュアルファッションの可能性だった。誰もが気軽に手に取れるようなカジュアル衣料の店を作れないか。柳井にとって決定的なヒントとなったのが、アメリカで見た景色だった。この当時の柳井は海外への視察旅行を繰り返していた。

 

1980年代前半のある時に柳井が立ち寄ったのがカリフォルニアの大学キャンパスの中にある、大学ショップだった。日本で言えば大学生協の店だ。大学内で運営するため、なるべく人の手はかけられない。接客のスタッフなどはおらず、学生たちは思い思いに必要なものを手に取ってレジに並んでいく。

当時の日本のアパレルと言えば、ファッションに精通している店員が何かと話しかけてくる。そんな店員がうっとうしく思えた。考えを巡らせる内に、柳井が行き着いたのが「いつでも誰でも好きな服を選べる巨大な倉庫」というコンセプトだった。

 

ユニクロ1号店

「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」という新しい店のコンセプトは、書店やレコード店のように商品が置かれているだけ。店員は話しかけてくるわけでもなく、もっぱら陳列棚の整理やレジ打ちに専念している。お客はカゴを片手に欲しい商品を自分で探して買い求めていく。

店があったのは広島の繁華街である袋町。地元では「うらぶくろ」と呼ばれる通りで、アーケードのある大きな商店街から少し離れた場所にある。3万もの在庫をうたい、そのほとんどが1000円か1900円。やはり安さが「売り」だった。

 

1984年6月2日土曜朝6時。大きなガラス扉を開けてお客を迎え入れると、売り場に客が殺到して陳列棚から奪い合うようにして服を手に取っていく。あっという間に商品がなくなり、店員たちが補充に走る。柳井もこの時ばかりは興奮を隠しきれなかた。「僕たちは金の鉱脈をつかんだんだ」

 

金の鉱脈

金の鉱脈に見えたユニーク・クロージング・ウェアハウスだが、2号店は失敗。当初は飛ぶ鳥を落とす勢いだった1号店にまで早くも陰りが見え始めた。このピンチに「僕は失敗の原因を考え続ける」という柳井は、すかさず次の手を打った。失敗の理由を因数分解した上で、繁華街がダメなら郊外で勝負してみてはどうかと考えた。結果は郊外店の圧勝だった。ユニクロの郊外店には暮らしに余裕ができた子育て世代がクルマに乗って続々と訪れたのだった。

 

この後、次々と郊外店をオープンさせていく。こうして、柳井は暗黒の10年の末に見つけたユニクロという金鉱脈を、徐々に軌道に乗せていった。