出来事に対する考え次第で経験は変わる
人生で多くの痛みを経験したとしても、苦しむかどうかは自分で決められる。痛みは避けられなくても、人生で起こる出来事や状況にどう反応するかは私たち次第であり、その反応の仕方によって苦しむか苦しまないかが決まる。
私たちは現実の世界ではなく、「考え」によってつくられた世界に生きている。私たち1人1人が世界に対する自らの認識の中に生きており、その認識は隣にいる人と大きく異なっている。私たちがある出来事に与える意味や考えは、その出来事について私たちが最終的にどう感じるかを決定づける。その意味や考えはフィルターであり、私たちはそれ以降そのフィルターを通して世の中を見ることになる。そのため、私たちは現実そのものの中ではなく、現実に対する認識の中で生きているのである。
私たちの現実に対する認識は、私たちがその出来事に与える意味や考えからつくられる。私たちの人生経験はすべてそうやってつくられる。良い感情や悪い感情を引き起こす原因は、人生に起こる出来事そのものではなく、その出来事に対する私たちの受け止め方にある。
特定の出来事や物事について、普段の考えを手放すと、そのことに対する私たちの経験は一変する。つまり、経験が自分自身の考えから生じていると理解することによって、人生の経験を変えることができる。
なぜ私たちは考えてしまうのか
人間は、ただ生き延びるのに役立つという理由で、頭脳を進化させてきた。頭脳の仕事は、私たちの生命を脅かす危険について警告することにある。頭脳は、過去の経験の蓄積を参照して仮想シナリオをつくり、記憶に基づいて、将来危険となりそうなものまで予測してしまう。
頭脳を使い続けていると、「闘争か逃走か」の状態が持続し、不安や恐れ、フラストレーション、憂うつ、怒り、憤りなどのネガティブな感情に常にとらわれることになる。頭脳はあらゆるものを私たちの存在そのものに対する脅威だと考えるからである。
もし自由や幸せ、安らぎを手に入れ、愛に満ちた状態でいたいなら、脳内の声だけに耳を傾けるのをやめて、生存だけではなく心身の健康を助けるもっと大きなものに意識を向ける必要がある。
「思考」は精神的な苦しみの根本原因
「考え」は私たちが行っている行為ではなく、持っているものである。「考え」は自然に生じうるものである。どんな考えが頭に浮かぶのかをコントロールすることはできない。一方、「思考(考えること)」は自分の考えについて思考する行為である。思考するというのは、自分の頭の中の考えと積極的に向き合うことである。
私たちは自分の考えについて考えた瞬間に、感情のジェットコースターに乗せられる。自分の考えについて思考すると、私たちはその考えについて判断や批判を始め、あらゆる種類の感情的な苦しみを経験する。なぜそれができないのか、なぜそれを手にすることができないのかという理由を無限に考え出す。
自分の「考え」について考えだり判断したりする必要はない。思考しなければ、あらゆるネガティブな指令や判断が、自分がつくりたいものについて最初に浮かんだ考えを台無しにしてしまうのを防げる。
考えること自体がストレスをもたらす
大半の人はポジティブな感情を持つにはポジティブに考えなければならないと思い込む。しかし、ポジティブな感情を得るためにわざわざ考えたり、思考したりする必要はない。ポジティブな考え、良い気分になる考えは、考えた結果生じるものではない。喜び、愛、歓喜、自由、感謝といった感情は、自然な状態から生まれる。これらは思考している状態ではなく、ただ存在する状態の副産物である。
従って、私たちが行うどのような思考も、こうした自然な存在状態から私たちを遠ざけるだけである。私たちが感じるポジティブな感情の強さは、その瞬間に考えている量に反比例する。私たちにストレスをもたらすのは、考えている内容ではなく、私たちが考えているという事実そのものなのである。
「いま、ここ」に心を置く
考えるのを完全にやめるのは不可能だが、考える時間を減らすことはできる。考える時間を少なくしていけば、やがて1日の大半を思考にとらわれずに過ごし、ほとんどの時間を幸せに満ちた状態で生きられるようになる。
考えることを最小限に抑えるには、それを意識するだけでよく、他には何も必要ない。自分が考えているということ、それがすべての苦しみの根本原因であることを意識すれば、私たちはおのずとその事実を自覚する。そして、思考にとらわれなくなり、思考を落ち着かせてやり過ごすことができるようになる。純粋に「いま、ここ」に心を置くだけでいい。
自分の思考から抜け出す唯一の方法は、なすがままにして、私たちの生まれ持った内なる知恵が、私たちを普段の明快で安らかな状態へと導くように任せることである。