量から質へ
製造業の崩壊は1970年にアメリカで始まったが、2000年になって欧州でも同じことが起きた。原因の1つには、現場レベルの人間と管理層の人間の階級上の差の問題がある。管理層は指示・命令をするだけ、現場の人間はそれに従ってやるだけで大量生産時代はうまく機能した。
しかし、時代はローカル産業時代に突入し、グローバル市場という大市場は崩壊し、小さなローカル市場に分解していった。ローカルごとのニーズは、大量ではなく少量になった上に、常にニーズは変化するため、設計、製造、購買はそれをフォローしなくてはならず、トップからの指示だけでは対応できなくて、現場力が大切になってきた。しかし、欧米の現場力はこれに追随できず、製造業は崩壊していった。
日本企業は、この大量生産システムから市場別の生産システムに切り替えるのに30年くらいかかっている。この間、人、設備、市場は変わっていない。市場の質が変わったのだ。これが21世紀に人類が迎える大変化の入り口だ。
大量につくって、他者との競争に勝てば生き残るという時代は終わり、自分たちが生かされている常に変化している環境に合わせた生き方を続けていくという質の問題になってきた。それは、日本の各地の環境に合わせて生き方を変えることで生き続けてきた縄文時代と同じく、21世紀は各市場に合わせたモノづくりを通じて生き方を変えていく時代になった。モノへの飢餓感がなくなった結果、長く続いたモノの時代は終わった。
モノからコトへ
グローバル時代は「何をつくるか」よりも「どういう方法でモノをつくるか」が中心で、市場調査をして、品質・納期・価格で競合他社よりいかに優れたモノを出せばよいかであった。これはコンサルタントや調査会社が答えを出してきた。
しかし、どういうコトを満足させるためにどういうモノをつくるかが問われるようになった21世紀のモノづくりでは、製・販・技のメンバーで現在の自分たちが生かされている場所からしか出てこない。モノの奥にあるニーズを探ることになる。いわゆるコトの世界に入ることになるが、そうすると顧客との長期にわたる関係から出てくる情報は不可欠なものになってくる。それは場所(外部環境)からの情報である。
ローカル市場はコト中心で、コトは市場ごとに違う。そして、コトは2つと同じことが起きない。コトの時代になって、地域ごとのニーズが重要になってくると、その地域の文化、歴史、特殊性、すなわち場所に関心が移ってくる。科学や論理の時代ではなくなり、文化、感覚の時代になってきた。そのため、製・販・技と市場が一体になって行動し、それぞれが得た市場の感覚情報を合わせて全体情報にした時に、市場のコトの情報に行き着くことができる。そこが大量生産や大量消費とは大きく違う。
失敗を通じて環境に適応していく
地域ごとのニーズにも秩序がある。それをつかむことが大事になってくる。これをつかむと、次に何が要求されるかがわかる。即ち、文明から文化をつかむということだ。文化は時代とともに変化していくが、その流れには秩序がある。それに沿って場所は変化していく。場所がコトを生み出す。
21世紀の企業は、今の変化ではなく、さらに次の変化を予知して対応する。これができないと企業は死滅することになる。日本人は、縄文時代の約1万年の間にこれを習得し、想像以上に豊かな生活を実現できていた。この豊かさは争いがないからできたものであろう。南北で交易し、言語、DNA、文化が共通になるほど人が争わずに行き交っていたということも大いに関係していると考えられる。この結果、縄文人は、感覚の世界の交流を深め、自然環境の流れの秩序をつかみ、豊かな生活をつくっていったのだろう。
この「争わない」という事実は、縄文時代から続いている日本型共同体の文化によるところが大きい。これは豊かな風土のため、個々の現象で争うよりも、流れをつくっている秩序に対応していく生き方を目標にしていったのだろう。これが現在まで続いている。
品質・価格・納期のカイゼンが目的の20世紀のモノづくりと違って、21世紀のモノづくりにおいて、現在の製品の次に来る商品は、場所の流れをつくっている秩序の中にある。その実体は感覚でつかむしかなく、それができるかが生死を分ける。そして、生き続けていく結果として、生き残ったものだけが、棲み分けの世界に入っていくことになる。これが本来の生物の生き方である。
こうした感覚は、失敗を通じて習得する以外にない。集団も個人も環境に適応していく方法はこれしかない。縄文人は何回も失敗しながら3ヶ月先、半年先をつかんでいった。これが狩猟採集時代の生き方だった。21世紀はここに戻ってきたと言える。