1%の人たち
過去40年間にアメリカで下された様々な経済的・政治的決定が、「1%の人たち」と呼ばれる少数の幸運な人たちに、空前の富をもたらしている。この国は、グローバリゼーション、急速な技術進歩、ファイナンスの成長という3つの強力な経済発展の要因を生み出し、支えてきた。この3要因が、大富豪の台頭をもたらした。
アメリカの不平等は、今や世界大恐慌が始まった1929年以来最悪の水準に達し、今後も悪化の一途をたどると見られる。巨大企業と富の集中を生み出したまさにその環境の下で、労働者は経済機会から本来期待できるはずの利益をますます得にくくなっている。データによれば、アメリカ人は以前と変わらず勤勉に働いているのに、暮らし向きはまるで楽になっていない。
フェイスブックの成功はどこまでが実力か?
フェイスブックの成功は先達が積み重ねてきたものとはまるで種類の違う成功だった。これまでの世代は努力を重ね、前の世代よりも少しずつ良い暮らしを手に入れてきた。だがフェイスブックでの経験は、たとえるなら宝くじに当選する感覚に近かった。フェイスブックの成功のどれだけが「実力」によるもので、どれだけが彼らの力の及ばない他の要因によるものなのか。
フェイスブックの成功の種が撒かれたのは、創業時の2004年ではなく、1970年代末のことだ。1970年代にアメリカの政治指導者は、フェイスブック台頭を可能にした経済的環境の下地を作り始めた。そして格差をこれまでになく深刻なものにしているのも、これらの環境要因だ。
業界を問わず財力のある企業が協力してロビー活動を組織し、政治に定着した。規制緩和と全面的な減税が実施される中、唯一予算が拡大したのは国防総省だった。こうした変化のすべてがフェイスブックの成功を可能にした3つの経済要因(新しいテクノロジーの急速な進歩、グローバル貿易の急拡大、ファイナンスとベンチャーキャピタルの台頭)の下地となった。
勝者総取りの世界
初期のインターネットは、アメリカの西部開拓時代のように、フロンティアを開拓した者が巨大な市場を独占することが可能だった。勝者総取りの世界では、少人数の集団がいち早く行動を起こした結果として、並外れて大きな利益を得る。後の大きな成功につながるこうした小さな違いは「運」と呼ばれることが多い。成功は必ず運と努力の組み合わせによってもたらされる。小さな出来事の組み合わせが、歴史的に類を見ない莫大な利益を生むのは、現代の経済的要因に「拡大力」があるからだ。
我々は運に途方もない見返りを与える経済を生み出した。こうした変化の中には望ましくないものもある。大勝ちした人たちが生み出した富は、彼らの子供達の世代に恩恵をもたらすかもしれない。その一方で、社会に深い怒りが鬱積している。そうした莫大な富が、必ずしも勤勉な努力によって生み出されたものではないという認識が高まりつつあるのだ。