ネットワーク化された偽情報
2012年、フィリピンを拠点とするニュースウェブサイト「ラップラー」を立ち上げた。ソーシャルメディア・プラットフォームを足掛かりにして、より良い統治とより強固な民主主義のために活動する共同体を構築する。当時は、フェイスブックやその他のプラットフォームを駆使して、あらゆる方面から幅広く最新のニュースを集め、重要な情報源や助言を見つけ、気候変動対策や良い統治を実現するために集団の行動を結びつけ、有権者の知識を増やして選挙への参加を促すことに成功した。
しかし、創業から5年を迎える頃には、ラップラーはアイデアを称賛される立場から一転して、政府のターゲットになっていた。ロドリゴ・ドゥテルテ大統領の汚職と不正を暴いたからだ。
フィリピンは、ソーシャルメディアが、1つの国の制度、文化、国民の精神におよぼし得る恐るべき効果のグラウンド・ゼロだ。この国で起きていることは、いずれ世界の他の国でも起きる。
アメリカの旧植民地であるフィリピンの人口は約1億1300万人。この国の自慢は、英語が話せて多くが大卒で、欧米文化に慣れ親しんでいる労働力だ。問題は、この国がインターネット詐欺の最大の温床になっていることだ。フィリピンには、世界中のメールアドレスに大量のスパムメールを送りつけるサービスで名声を確立した側面があった。
2015年には、フィリピンで複数のアカウント工場が、携帯電話番号認証システムを利用してソーシャルメディアのアカウントを生成しているという報告が上がっていた。同年、ドナルド・トランプのフェイスブックの「いいね!」は、大半がアメリカ国外でつけられたものであり、トランプのフォロワーの27人に1人がフィリピンに住んでいることを、ある報告書が明らかにした。影響経済が始まった時、ツイッターのフォロワーを売っていたいかがわしい会社の一部はフィリピンにオフィスを構えていた。
その頃には、政治マーケティングは「ネットワーク化された偽情報」に進化していた。クリックとアカウントの量産工場、情報操作、広告業界のグレーゾーンにおける政治的影響力の高まり。そして、後にフェイスブックが「組織的不正行為」と呼ぶものが、フィリピンで国家ぐるみで始まった。それは独立系メディア、ラップラーに寄せられていた大衆の信頼を木っ端微塵にするために仕掛けられたネット戦争の始まりだった。
プロパガンダ・マシンとして利用されるソーシャルメディア
2016年に大統領に就任したロドリゴ・ドゥルテは、フェイスブックを巧みに利用して、最高のポストを手に入れた最初の政治家であり、フィリピンの政治を永久に変え、フィリピン人を二極化させた。
アルゴリズムが提供するコンテンツは私たちを過激化させる。フェイスブックは、長い間に、悲惨で、極めて有害なフィードバック・ループを作り出した。ドゥルテのプロパガンダ・マシンは、フェイスブックの専制的なアルゴリズムの設計を巧みに利用していた。あらゆる場所で情報操作は行われている。無限に繰り返された嘘は、ある問題についての大衆の見方を変化させる。世界の権力者たちはずっと前からプロパガンダにまつわるこの真理を知っていたが、ソーシャルメディアの時代になって、それは新たな意味と舞台を獲得した。やがてフェイスブックのユーザーが世界中で30億人を超えると、世界の指導者たちは、ソーシャルメディアの個人ユーザーを通じて、権力闘争を有利に進める方法を発見した。
2016年にフィリピンで起きたことは、世界中の民主主義国ではじまったあらゆる情報操作の縮図だ。ボット、フェイクアカウント、コンテンツクリエイターが1つになって、ウイルスのように現実の人間に感染した。しかし、疑うことを知らない市民は、自分が感染していることにさえ気づかなかった。
ドゥルテがフィリピンの政権を握ってから半年の間に、行政、立法、司法という政府の3本柱の抑制と均衡は失われた。これをなし崩しにしたのが、縁故贔屓、闇雲な忠誠心、「腐敗・強要・共謀」のシステムだった。政府が望んだり、持ちかけたことを拒んだ人間は、誰であれ攻撃を免れなかった。
民主主義は水や空気のように当然のものではない
プロパガンダのネットワークは、歴史の書き換えに有効である。嘘は、その後で行われるファクトチェックよりもはるかに拡散される。そして、嘘が暴かれる頃には、嘘を信じる人々は大抵自分の意見を変えようとしなくなっている。いまや私たちの情報エコシステムが世界的問題を抱えているのは明らかだ。こうした問題に対処するには、次の3つが必要だ。
- テクノロジーに説明責任を要求する
- 調査ジャーナリズムの保護と育成
- 最前線にいるジャーナリストを守るための共同体の建設
民主主義は脆い。私たちの国の憲法には、国民の権利を定めた「線」がある。権力を手にした人間は、恐怖と暴力を使って、私たちに権利を手放すように仕向ける。一線を死守しなければならない。