ストーリーが世界を滅ぼす

発刊
2022年7月29日
ページ数
320ページ
読了目安
500分
推薦ポイント 12P
Amazonで購入する

Amazonで購入する

ストーリーテリングの功罪
かつて物語は集団を結束させ、民族に道徳的規範をもたらす手段として活用され、人間にとって必要不可欠なものだった。しかし、現代においては逆に物語が、社会に分断をもたらす原因になってしまっている。

物語が人類の進化の過程で果たしてきた役割と特徴を解説しながら、現代における物語の問題点を問う一冊。

物語の善と悪

私たちが一生の間たえまなく行うコミュニケーションには「他人の心に影響を与える」という重要な主目的がある。コミュニケーションを行う時、私たちは必ず、空気のように実体のない言葉を使って、たとえわずかでも他人を動かし、世界を自分に都合よく再構成する。

 

物語は、他人の心に影響を与える唯一にして最強の方法である。物語の善をもたらす大きな能力が共感、理解、慈善、平和の促進に向けられる分には素晴らしい。しかし、心をなびかせるストーリーテリングの魔力は、分断と不信と憎しみの種を蒔くのにも優れている。

物語は古くから人類にとって恵みであり、災いでもあった。政治の分極化、環境破壊、野放しのデマゴーグ、戦争、憎しみ、文明の巨悪をもたらす諸要因の裏には必ず、心を狂わせる物語が見つかる。

 

人の脳は物語に適した進化をした

私たちは物語を通してコミュニケーションを行い、物語から学習する。心は物語に適するように進化した。だから物型によって形成されうる。宗教や道徳の規範から狩りや結婚に関する具体的なアドバイスまで、あらゆる情報を保存し伝承する手段として、物語は生まれた。

 

私たちの脳は、はるか昔の石器時代に進化をほぼ完了した。写真も映画もドルビーのサラウンドサウンド技術もなかった時代にだ。だから、真に迫った人間の画像や物語仕立ての人生のシュミレーションを目にすると、脳は反射的にそれらを現実そっくりに捉えて処理する。そして、人は文字や口承のみのストーリーテリングにもほぼ同じように騙される。

 

物語は人の感情を動かし、人を説得する

力のあるストーリーテラーたちは私たちの感情と心を操作する。私たちの心に入り込むイメージと私たちをとりこにする感情を物語る。それを短期的・長期的に人をなびかせるという明確な意図を持って行うことが多い。

ストーリーテリングには他の情報伝達手段に比べ、科学的に実証された優位性が多数ある。

  1. 私たちは物語とその伝え手を愛する
  2. 物語は粘着力がある
  3. 物語ほど注意を釘付けにするものはない
  4. 優れた物語は人に話さずにはいられない
  5. 物語は強い感情を生み出す

 

物語は私たちに感情を抱かせるものだ。そして、感情は人間の意志決定の主要要素であることがわかっている。理性的な論証に効果があるのは、もっぱら既に考えを変えた人や関心がなかった人に対してだ。しかし一番求められる場面では力を発揮しない。説得に関しては、大抵理性より感情に訴える方が勝つ。

 

ストーリーテリングの基本原則

最初期の口承民話に始まり、舞台芸術、活字として残る歴史的文献、現代のYouTubeのショート動画に至るまで、成功するストーリーテリングの基本原則は全く変わっていない。ストーリーテリングの普遍文法には少なくとも2つの主要な構成要素がある。

  1. 物語は困った問題を解決しようとする登場人物を扱っている(苦境を乗り越える人々を主人公にする)
  2. 物語はその奥に道徳的要素を含んでいることが多い

 

物語は分断をもたらす

狩猟採集の時代から、物語は語り手と聴き手に部族を結束させる同じ規範を浸透させた。人間が集団で暮らさなければならないということは、常に利己的な衝動と集団のニーズのバランスを取らなければならないということだ。物語の主人公は自分の個人的な利益と集団のニーズのバランスを適正にとっている。悪い人間とは集団の利益より自分の利益を必ず優先する協調性のない人間と定義される。

だからいつの時代もどんな文化においても、物語の主人公は、家族、友人、共同体を結びつける絆を築こうと奮闘する。敵役はその結び目を見つけて引き裂こうとする。物語は競争として展開する。

 

ほとんどの話では、主人公が悪戦苦闘の末に勝利する。しかし大局的に見て、人間という動物の善なる部分と悪の部分の戦いに、勝利という決着はあり得ない。だから英雄と悪者は繰り返し、戦い続けなければならない。

物語が人々を善悪のカテゴリーに分断する限り、物語は共感の数だけ非情さを生む。物語は共感を生むと同時に共感と正反対のものも生み出す。悪役を押し付けられた相手の人間性に対する、道徳的に麻痺した状態である。

 

ナチス、南部連合の白人至上主義者がしたことは私たちから見れば悪だが、彼らにとっては正常でむしろ立派な行いだった。彼らが私たちに比べて悪い人間だったわけではない。今の私たちから見た悪を善であると誤って定義していた文化の中に生まれる、という道徳的な不運に当たっただけだ。私たちがそのような環境に生まれていたら、私たちもきっと同じ行動を取っていただろう。

 

私たちの時代は、文化と技術の変化のスピードが速すぎるせいで、かつては私たちを高揚させ、まとめ上げてくれた物語が、狂気の元凶になっている。分離と無秩序の救済策であったものが、逆に原因になってしまった。

物語とストーリーテラーが力を増し、事実とエビデンスの力が弱まっていく中で、社会の分裂状態から我が身を救うのは簡単ではない。私たちは物語の語り手を疑う癖をつけなければならない。