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MEDIA MAKERS 社会が動く「影響力」の正体

発刊
2012年11月12日
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メディアの本質を考える
R25、BLOGOS、Techwave、livedoorニュース、NEVERまとめなど、様々なメディアを立ち上げてきた著者が、メディアの本質について語っています。

そもそもメディアとは何か?情報爆発時代の今、ウェブメディアはどうあるべきか?
メディアに関わる人が理解しておくべき内容が書かれた1冊。

メディアとは何か?

メディアとは、そこに情報の送り手と受け手の二者が存在し、その間を仲介し、両者間において、コミュニケーションを成立させる事を目的とするものである。ここで、大事なことは「メディアは必ず、受け手を必要とする」事と「受け手こそが王様」であるという事である。

超芸術的でクールでかっこいい写真が溢れる雑誌を作ったとしても、それが誰にも読まれない、あるいは読者の心の中に何ら「印象」なり「爪痕」を残せなければ、それはメディアとは呼べない。

今や個人・法人を問わず「誰もがメディアになり得る」時代に、「情報爆発時代」になった。しかし、きちんと読まれ、読み手の心を動かし、世の中に対する影響力を継続的に発揮できているものは、かなり少ない。今や情報を発信すること自体には、全く価値がない。読み手に届くメディアを作り、運営できるかが生命線である。

 

「コンテンツの軸」からメディアを読み解く

コンテンツの形態は、次の3つの軸が基本フレームとなる。

①ストック ⇔ フロー (例:ウィキペディア ⇔ ニュース記事)
ストック性の高いコンテンツは、時代を超えて「読むべき」とされているもの。しかし「いつ読んでもいい」というのは「今すぐ読む必要もない」ということになりがちである。だから、フロー性を付与し、キッカケづくりをすることで、「今ココ」で読まねば!という意味付けすることに価値がある。

②参加性 ⇔ 権威性 (例:食べログ ⇔ ミシュラン)
編集する「意思」をもって成果物をできうる限り、コントロールし、その成果物を、受け手がやみくもに信頼してしまうところに、権威性メディアの特徴がある。これは社会において影響力を持つ事こそがメディアの存在意義という意味で、メディアにとっては非常み意味のあること。一方、参加性メディアには、集合知的な部分に、大きな可能性が存在する。しかし、全体としての「意思」や「責任」が誰に帰属されるべきなのかを巡っては答えが出ていない。

③リニア ⇔ ノンリニア (例:映画、長編小説 ⇔ 辞書、カタログ)
リニアなコンテンツとは、初めから終わりまで一直線に連続した形で見てもらえることを想定したコンテンツ。昨今、ウェブ上ではソーシャルメディアや検索エンジンからの記事への直接流入が、あらゆるサイトで増加している。そうした流れで、元々の雑誌レイアウトにおいて持っていた台割によるストーリー性や文脈といったものが、ウェブ上でははげ落ちてしまう。ノンリニア化の進展が、今のメディア・コンテンツ消費の現場である。

デジタル化やスマートフォン化、ソーシャル化の進展は、「フロー」と「ストック」の軸においては、引っ張り合う力が拮抗して中立に思えるが、「参加性」と「権威性」の軸では「参加性」へ。「リニア」と「ノンリニア」の軸では「ノンリニア」の方へと、コンテンツのあり方を変えるように「引力」を発揮しつつある。

3次元の軸に基づいて、しっかりとした方向感覚を持ち、デバイス環境や生活者の可処分時間の動向まで含め、現在のメディア潮流がどのように変化しているのかを、自分の立ち位置と共に正しく把握することが必要である。

 

影響力の本質

メディアには、そこでなされた予言自体を自己実現させてしまう傾向があり、この「予言の自己実現能力」こそが、メディアへの畏怖の念と、影響力の源泉である。

メディアで報じられた記事というものは、その時点では、ある事実状況を取りまとめ、それを解釈した上での「情報」に過ぎない。しかし、それが「信頼されるメディア」に掲載されると、その情報自体が、現実の社会において「独り歩き」を始める。結果として、企業の経営破綻の懸念問題であれば、取引先や顧客が逃げ、社員の退職が相次ぐことになる。つまり、予言が自己実現してしまう。

メディアの「影響力」「信頼性」「ブランド価値」の本質とは、この予言の自己実現能力に対するものである。大手ジャーナリズムの世界で「事実確認」の重要性が語られるのは、このような影響力について、ネットメディアの一般的な水準よりは、よく自覚されているからである。こうした情報発信の態度こそが、ユーザーから見た時の、そのメディアへの信頼感の根拠であり続けてきた。そして、広告的に言えば、単に「クリックいくら」といった短期での費用対効果ベースに還元されない広告価値を認められ、プレミアムな広告メディアとして存在意義を発揮してきた本質と言える。

ネットメディアの立場から考えれば、「間違っても後から直せばいい」と居直っていると、いつまで経っても、「クリックいくら」というコモディティ化された広告スペースの量り売りから脱却できない。

 

メディアの品質

検索エンジン、スマートフォン、ソーシャルメディアという3点セットの浸透と普及は、全てのメディアを断片的に切り刻み、コンテンツは、その作り手が想定した文脈などは無視して、好き勝手に、ユーザーから「つまみ食い」されるものへと変化していく事を要求している。デジタル化(=ノンリニア化)によって、メディア消費は全体として、どんどん即物的で刹那的で断片的なものへと変化している。

ノンリニアなメディア構造は、全ての記事コンテンツで、即物的に読者の「ウケ」を取れというプレッシャーを作り手にかけている。しかし、そのプレッシャーに過剰に適応して、読者の興味に迎合した記事ばかりを均一に量産してしまうことは、長期的には、読者からのリスペクト獲得の機会を捨てることにつながる。そして、読者から作り手への尊敬・信頼・畏怖の念を欠いたメディアは、焼畑農業的なPV至上主義に陥り、次第にやせ細っていく。

メディア・ビジネスにおいて重要な要素、メディアをブランド化するにはどうすればいいか。読者から見た「メディア品質」とは、作り手を信頼できるか、という問題とイコールになる。叩き売りされないメディアになるには、編集者が熱き想いを読者に問い、畏怖されつつも、共感させることが出発点となる。