寺院消滅

発刊
2015年5月21日
ページ数
288ページ
読了目安
391分
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お寺が消えていく
高齢化、過疎化により、空き寺が増え、寺院の衰退が進んでいる。仏教界が今置かれている状況を調べ、お寺の存続意義を問いかける一冊です。

空き寺が急増している

現在、全国に約77000の寺院がある。その内住職がいない無住寺院は約20000カ寺に達している。さらに宗教活動を停止した不活動寺院は2000カ寺以上に上ると推定される。無住寺院とはつまり空き寺の事であり、放置すれば伽藍の崩壊や、犯罪を誘引するリスクがある。

 

しかし、多くの宗門は無住寺院や不活動寺院の実態を把握しきれていない。ましてや、この状況から脱するための対策には乗り出せていない。末端の各寺院はそれぞれが宗教法人格を有している以上、宗門本部がカネを投入したり、整理・統合を進める事が難しい。寺を存続させるかどうかは住職の判断に委ねられている。

 

この無住寺院が近年、急増している。「後継者の不在」が原因だ。その背景には少子高齢化、都市と地方の格差問題など、近年の社会構造の変化が横たわっている。都市部の財力のある寺院は若い僧侶達にとって魅力的で、後継に困る事は少ない。空き寺になっていくのは、多くは僻地にある檀家数の少ない寺だ。そうした僻地の寺に好んで入る僧侶は、ほとんどいないのが実情で、現在の住職が亡くなれば、自動的に無住寺院になってしまう。

 

宗教法人の解体は困難

宗教法人の解散もしくは合併の際には宗の本部や行政に書類を揃えて、届け出なければならない。その場合、住職や寺の責任役員、檀家総代、寺族の所在の確認をした上で、仮に該当者がいなければ、形式的にでも別の寺から名義を借りるなどの必要が出てくる。その手続きを終えた後、宗教法人法に基づく正式な精算手続きとなる。しかし、残った伽藍や敷地、無縁墓の処理など、現場の問題が同時に発生する。

そうした処分費用は一体、誰が負担するのか。寺院は一般住宅に比べて規模が大きく、解体費用には数百万円から数千万円の費用が必要だ。行政や各宗派の本部がその資金を肩代わりする事はできない。宗教法人の解体は一筋縄ではいかない。

 

檀家の減少が寺の存続を招く

寺の収入構造は、例えば、墓地管理料が1軒当たり年間3000〜5000円。護持費が5000〜10000円。これが固定収入に当たる。檀家が多ければ多いほど、経営基盤が安定している事になる。さらに一時収入がある。つまり法事や葬儀の際に生じる布施である。葬儀の場合、東京の相場は50万円の水準、京阪神や名古屋等では20〜30万円とされ、地方都市だと10万円を切るところも多い。東京の布施の値段がスタンダードのように語られ「坊主丸儲け」との誤解を生んでいる面は否めない。

 

江戸時代に幕府が定めた寺請制度によって、日本国民は漏れなくどこかの寺の檀家になる事を義務づけられた。布施が安定的に入るこの檀家制度の仕組みによって、寺院の経営は安定した。だが一方で、檀家制度に寄りかかった「僧侶の堕落」が顕在化し、日本の仏教を地盤沈下させてもいる。

大方の寺は伝統や慣習を変えられずにいる。住職自身が高齢化し、後継者もおらず、経済的、精神的にも疲弊した寺では「時代に合わせて変化する」事ができず、衰退の一途を辿る場合がとても多い。

 

寺は消えてもいいのか

寺とコンビニの数はどちらが多いか。全国に仏教系寺院は77329カ寺存在する。一方で、全国のコンビニ数は52380店。寺院の方が約25000軒、多いのである。だが、我々はコンビニほど、寺を必要としているだろうか。都会に住んでいれば、あまり寺を意識して生活する事は少ない。生活レベルが保たれ、幸福感が得られるのであれば、どこに仏教を求める理由があるだろう。

 

仮に大切な人が亡くなったとしても、葬儀社に電話一本すれば、お墓の面倒まで見てくれる。そこに必ずしも寺や僧侶が、主体的に介入する必要はない。では、社会から寺が消滅しても問題ないのか。

寺の存在意義は「あなた自身を見つけられる場所」にある。自分につながる亡き人と再会できるのが寺院だ。そこで「過去」に思いを馳せる事で、自分の存在意義を確かめる。きっと再び、明日に向かって歩き出せるはずだ。

参考文献・紹介書籍