THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか

発刊
2021年7月14日
ページ数
392ページ
読了目安
592分
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現代人が孤独を感じる根本的な理由
現代人の多くが孤独を感じているのはなぜか。現代の社会構造やテクノロジーの影響など、孤独の原因となる社会現象を解説しながら、その根本的な原因を紹介している一冊。
新型コロナ以前から進んでいた現代の孤独危機を今後どのように乗り越えていけば良いのかが考察されています。

孤独の世紀

新型コロナで「ソーシャル・リセッション(交流の減少)」が起こる前から、米国の成人の61%は自分を孤独な人間だと考えていた。欧州でも状況は似ている。ドイツでは人口の68%が、孤独を深刻な問題だと考えている。英国では、孤独の問題があまりにも深刻になったため、2018年に孤独大臣というポストが新設された。英国人の15%は、頼りになる親しい友達が1人もいないという。人口の75%が、隣人の名前を知らないとし、労働者の60%は職場で孤独を感じると答えている。アジア、オーストラリア、南アメリカ、アフリカでも、人々が孤独に苦しんでいることを示すデータがある。

数ヶ月にわたるロックダウンと自主隔離、ソーシャル・ディスタンシングは、この問題を不可避的に悪化させてきた。世界中で、人々は孤独で、周囲から切り離されて、孤立していると感じている。

 

孤独とは

孤独とは、愛や仲間や親密な人間関係が欠如した状態に限らない。また、日常的に交流する人に無視されているとか、相手の目に入っていないとか、大切にされていないという感覚だけでもない。それは、一般市民や雇用主、地域社会、政府の支援やケアがないという感覚でもある。また、他人だけでなく、自分自身からも切り離されている感覚や、政治的・経済的に排除されている感覚も含まれる。つまり、孤独とは人間の内面的な状態であると同時に、存続に関わる個人的、社会的、経済的、政治的な状態でもある。

 

現代の孤独は、グローバル化や都市化、格差拡大、パワーの非対称によって形を変えてきた。人口動態の変化やモビリティーの高まり、テクノロジーによる破壊、緊縮財政、そして、今、新型コロナウイルスの影響も受けている。それは周囲にいる人とつながりを持つことへの渇望、愛し愛されたいという切望、そして自分に友達がいないと感じる時の悲しさを超える感覚だ。社会の進歩から取り残され、無力で、目に見えない存在で、声がない存在だと感じることが含まれる。

孤独とは、他人を身近に感じたいという欲求と同時に、自分の声に耳を傾けてもらい、自分に目を向けてもらい、気にかけてもらい、行為主体性を持ち、フェアで親切で敬意を持って扱われたいというニーズの表れでもある。

 

なぜ私たちは「孤独」なのか

私たちが孤独を感じるようになった大きな原因として、スマートフォンとソーシャルメディアの影響が大きい。それらのお陰で、私たちは周囲に目を配らなくなり、人間的に最悪の部分を煽られて周囲に怒りを覚えるようになった。さらには「いいね」やリツイートやフォロワーを求めて演技じみた振る舞いをし、強迫観念に駆られ、思いやりのあるコミュニケーション能力を失ってきた。しかし、スマートフォンとソーシャルメディアは、パズルの2つのピースに過ぎない。現代の孤独危機の原因は無数にあり、多岐にわたる。

 

構造的かつ制度的な差別は、孤独の大きな原因である。人種差別だけでなく、性差別も孤独感の高まりと関係がある。こうした長年の構造的問題に加えて、孤独をもたらす新しい要因が生まれている。例えば、大都市への移住や、大掛かりなリストラ、ライフスタイルの根本的な変化により、伝統的な意味での「人との関わり」は著しく減った。

その一方で、あらゆる出自の人が集まり、交流し、絆をつくる地域社会のインフラは放棄され、最悪の場合、解体されてきた。これは特に2008年の金融危機後にひどくなり、緊縮政策によって世界中の図書館や公園、遊び場、そしてユースセンターやコミュニティーセンターが大打撃を受けた。

 

孤独危機の根幹

現代のライフスタイルや、仕事や人間関係の性質、都市やオフィスのデザイン、人と人の接し方、政府による市民の扱い方、スマートフォン依存症、そして人の愛し方、こうしたことすべてが、現代人の孤独を悪化させている。このイデオロギー的な原点は、1980年代に確立した新自由主義にある。これは、自由を極端に重視する冷酷な資本主義の一形態で、現実離れした自助努力と、小さな政府、そして残酷なほど激しい競争を追求し、地域社会や集団の利益よりも個人の利益を上に位置付ける。

 

この新自由主義が21世紀の孤独危機の根幹をなすのは、次の3つの理由による。

  1. 所得と富の格差を大幅に拡大し、大多数の人は負け組と感じるようになり、社会的地位が低下した。
  2. 株主や金融市場が世の中のルールや雇用条件を決めるようになり、労働者が犠牲になった。
  3. 個人の利益追求を称えることで、人間関係や市民的義務を根本から変えた。

 

新自由主義による「私がすべて」の自己中心的な社会では、誰も頼りにできないから、自分で自分の面倒を見なくてはいけないと誰もが感じる。社会が孤独になるのは当然である。

 

そんな中で私たちが孤独を感じないためには、人から奪うだけではなく与え、周囲に気を配り、お互いに親切に振る舞い、敬意を払わなければならない。また、私たちを引き裂こうとする世界で結束するためには、資本主義と公益をもう一度結びつけ、思いやりと協力を中心に据えたコミュニティーをつくり、それを自分とは異なる人たちにも広げる必要がある。

参考文献・紹介書籍